人に歴史あり(後編)

imprevisto/ta:(形)予見できない、不測の、思いがけない (名)1.(〜s)臨時の出費 2.不測の事態
impensado/da:(形)予期しない、意外な、突然の、思いがけない、偶然の
inesperado/da:(形)予期しない、思いがけない、意外な、突然の
insospechado/da:???(西和にない・・・かわりに、insospechableならある)
fuera de todo cálculo:予想外

「予想外」を調べたら、予想外にでてきた。予想GUYデス。なじみがあるのがimprevistoとimpensadoしかない。上にある日本語同様、言い方がちょっと違いだけで、使い分けは特になさそう。inとimのあとに続いてる単語的に・・・。だから、覚えるのは簡単そう。

日記。

明日の呑みの約束が入ったので、興奮しつつ調練へ。「うしっ!明日は呑みだ!会話だ!今日は気合いいれて走るのし!9時から秘密のケンミンSHOWあるし・・・」と息巻いていく。

ヒムナシオにはまだ30秒くらいかかるという位置から、変な男が振り返りつつチラチラとおいらの顔をみる。「知り合いか?」と思ってこちらもしっかり見るが、見たこともない顔。おいらは完全に調練スタイル。「やるならやったるで〜!明日呑みだしな!」と、進むにつれて、明らかにジロジロみてくるので、ちょいと腹立たしくなってきた。

ヒムナシオまであと数mってところで、その男が話しかけてきた。

「調練ですか?」
「ええ」
「今日1日です・・・」
「え?」
「メンテナンスの日なんです。申し訳ございません」
「あ、いえ・・・こちらこそ・・・あいすいません・・・いや本当に・・・」
「またよろしくお願いします・・・」
「え、あ、う・・・はい・・・」

いい人でした。

別れてすぐ気づいたが、ここまでヒムナシオまで近づかなくても、真っ暗なので、もっと手前で気づいてもよかった。だが、その彼に「なんじゃわれ〜!」的な目でみていたため、入り口に行くまで気づかなかったのだ。

メンテナンスじゃしょうがないが・・・ちょっと休みすぎじゃないかい・・・このヒムナシオ。だから6300円ってのもあるんだろうけどさ〜結局、今週も2日しかいけないってことじゃないか!!なんか、ここまでストレスたまるなら、平日会員じゃなくって無制限なやつにしてやろうかとも思うが、週末は絶対遊びたいので、それはやめておく。

ということで、またもや中5日決定・・・あ、違うや。第一週目の月曜日は営業してるから、中4日で済むのか。まぁ、許してやろう。

とぼとぼおうちに帰ってきて、秘密のケンミンSHOWを見る。

この番組・・・方言、地方好きのおいらのためにあるような番組。かなり気に入っていて、毎週楽しみにしている。友達が恥ずかしがったり、「東京もん相手じゃ無理〜!」といってなかなか聞かせてもらえない方言を思う存分楽しめる。

今日は、名前も顔も知らないが、山形の子の方言を聞いて心ときめく。悪くない。言葉は普通の標準語なのだが、イントネーションが良い。いい響きだ。

こういう番組をみてしまうと、旅欲求が減ってきたとはいえ、どっかに行きたくなってしまう。

番組のコーナーじゃないが、おいらはず〜〜〜〜と横浜だし、パパンは一応群馬出身だが、おじいちゃんが一念発起して、今の場所で店を始めたため、田舎はない。せいぜいお墓参りのときくらい。パパンも子供の頃にこっちに来てるので、ほとんど横浜人だ。ママンも実家は川崎。田舎なき子っていうのは、ホントつらい。

だから、おいらはスペインにはまったのかもしれない。スペイン・・・バレンシアを自分の田舎に見立ててるのかも。だから、バレンシアに行くのは旅というよりは帰省っぽい感じが実際ある。で、スペイン語がおいらにとって故郷の言葉になるのか。いや、それはちょっと言い過ぎか・・・そこまで話せないし。バレンシアーノ(バレンシア語)を話せるようになったら、もっとその思いは強まるかもしれない。うん。それ楽しそうだな・・・。

今回は、組み分けする「グッパー」について。グッパーが主流みたいだが、「うらおもて」で組み分けするところがあるということをしり、唖然とする。そして、おいらが住みたい福岡には「グッパー」のような組み分けジャンケンがないらしい。長崎はうらおもてらしいから、今度、松原さんとあったら試してみよう。新潟もうらおもてだってなってたな・・・。

いいな〜田舎(故郷)が欲しい。横浜好きだけど、東京が近すぎて、なんか面白くない。方言があるところに住んで、方言にかこまれて生きたい。で、自分も方言話せるようになりたい。まぁ、住んだ時点で「方言」ではなくなるのだが・・・。方言が話せるだけで、その辺の子もエラクかわいく思えるから、いろいろ楽しいそうだ。

そうだ。一昨日の続きを書こう。

日記について。どこまで書いたんだっけ・・・。

大学までか・・・。

a ver...

2001年〜(大学院編→社会人編)
卒論は「藤岡屋日記」という、どえらい量の他人の日記。文化元年(1804年)〜明治元年(1868年)までの間、江戸で起こったことを客観的に書いてある日記で、150冊以上ある。図書館にあるやつは、厚さ・・・10cmくらいはあるんじゃないだろうか・・・それが15冊以上ある。もうホントエライ量なのだ。関東大震災でもえちゃったけど。

主観的なことは全く書いてない(藤岡屋日記の前のものは違ったが)。そして、一行しかない日もあるが、かなりの量なので、そういうのをみるとほっとしたものだ。

まぁ、それはいい・・・おいらの日記とは関係ないし。とりあえず、大学の専門や論文の関係で、他人の日記を読むことが多かった・・・と書きたかっただけ。

で、大学院にいったあとに、自分が本を全く読めない人間・・・読むと死にそうになるということに気づき、嫌になる。で、逃げ出すことにする。

そう、数年前から夢見続けていたスペインにだ。

一度、日本じゃないところに住みたいと思っていただけなので、ぶっちゃけ外国だったらどこでもよかった。アメリカは無理だと思ったが・・・食事的に。

候補は当然、いったことのある国から選ぶことになったが、選択肢はすぐに絞られた。イタリアorスペインだ。この2つが選ばれたことに、なんの疑問もなかった。なぜなら、ラテンの血がおいらには流れているから。血がそう叫ぶのだ。イタリアへ行き!スペインへ行け!と。

その2つがでてきた時点で、実はすでにスペインに決まっていた。両方とも旅はとても楽しめた場所であった。どちらかというと、イタリアの方が楽しかった。いかんせん、歴史がある。スペインは多種多様な文化が入り交じってるところが面白いが、イタリアは深さがある。資料的なこともあるのだろう。

が、同じ期間(1ヶ月〜40日)旅して、その土地で触れた人間の暖かさはスペインの方が上だった。それは「事実」ではなく、おいらのなかでの「真実」である。だから、人によっては逆もあるだろう。

未だに「なんでスペインにいこうと思ったの?」って聞かれると、気分が良いときは必ずバルセロナで触れたあるじいちゃんの話をする。

今書こうと思ったが、おいらの文章で書いたら、イマイチ臨場感が伝わってこないし、説明不足になりそうだから、かかないでおく。でも、そのとき一番スペインっていいな〜って思った。あと、Pamplonaの陽気なジェームス・ディーンと宿屋のオヤジ。

いろいろ旅して回ったが、もっとも地元の人に触れたのがスペインだった。ある意味、一番最初の旅で、旅慣れていなく、また英語もほとんど話せないにもかかわらず・・・。旅地元の人間にとってはうちらなんて一見さんで、そのまま無視してもなんら生活に影響を与えるわけではないが、彼らは本当に良く話しかける。それは今でも一緒。だから、スペインに行くと誰に話しかけられるんだろう・・・とウキウキしてしまう。

話がずれてる〜〜!戻す。

スペインにいくなら金を稼がないといけない。1年じゃ足りないから2年は行きたい。そこからひたすら金を貯めた。今考えると、おそろしいくらいの節約ぶり。実家というのもあったが、周りの友達にエライ世話になった。

ということで、サイトをここでまた一新し、社会人編を作る。主にスペインまでの道を記す。っていっても金稼ぐだけの時期だったから、特にスペインのことは書いてない。あくまでスペインを夢見てる男のはちゃめちゃ日記となった。

長さの方は徐々に長くなっていってるが、それでも今ほどではない。バカっぽさはほとんど変わってない。泣きたくなるくらい。そう考えると、10年以上たって、な〜〜〜んも成長してないってことだ。ちょっとショックだったりもする。

そして、一年半働いてスペインでの生活費2年分の金を貯めた。2年分っていっても、適当に決めた金額だ。「たぶん、これくらいあれば足りるだろ〜」という金額。それで実際3年いたわけだが・・・。途中、予定外の一時帰国とかもあり、出稼ぎして継ぎ足したりはしたが・・・。

2002年〜(スペイン編)
社会人編のサイトも閉鎖した。きちんとした形では閉鎖してなく、実はいまでもサーバーにあるので、検索すれば見つかるのだが、事実上の閉鎖。

実は、事実上でもなんでも閉鎖するつもりはなかったのだが、学校のPISOでの生活だったり、引っ越した先でも、どうやってネットをひいていいのかとか、そいうこともわからなく、日記だけは書いていたが、それをアップすることができないでいた。

実際、最初の一年はエライ忙しくてそれどころではなかった。学校や勉強もそうだが、落ち着いてサイトを作る・・・なんて話ではなかった。まぁ、いうたら遊びまくっていたわけだ。

今でも「語学学校中の日記も読みたいのですが、それはないんですか?」というメールをたまにもらう。上でも書いたが、実はある。あるにはあるのだが、本気モードの日記なため公開できないのだ。最初のころはまとめてアップしようと思って書きためておいたのだが、ネット生活が徐々に遠のいていったせいもあり、途中から本気モードの日記にかわってしまったのだ。

今のブログとかでも、日常を赤裸々に書いている・・・という人はいるが、完全に別人としてやってれば別だが、普通は無理。程度の差こそあるだろうが、ブログも含めた公開日記と、普通の日記では、確実に異なる。まぁ、そんなこというまでもなく、みなわかってると思うが、公開する予定のない日記は、当然のこと恐ろしくリアルだ。

まぁ、そんな日記が一年分ある。当然だが、これは誰もみたことがない。日記らしい日記という意味においては、初めてのリアルな日記だ。

一度、読みたいという人のために、やばい部分だけを削除、編集し公開しようと思い立ったこともあったが、一年分をまとめてみたらやる気が一瞬にして失せた。しかも、長いし・・・。今考えると、おいらの日記が長くなったのはこのときからだ。そうだ!「おいらの日記っていつから長くなったんだろう・・・」って前々から自分でも疑問であったが、そっか〜この一年だったのか〜。新たな発見だ。

2004年〜
スペイン生活を1年終え一時帰国する。激動の一年で、もう人間交差点な世界であった。で、今のひきこもりを引っ越しをした。ManoloとSantiとの生活がはじまった。

引っ越すと、まずいの一番にネットを引いた。新たな出発であるので、前のサイトを使うのはさすがにためらいがあり、新しくサイトを作ることにした。それが今の「スペインひきこもり生活」だ。技術的なものも多々あったが、持ち運び用のノートでの作業はエライ面倒だった。それまでスペイン前の石積み場では24インチディスプレイ作っていたのに、急に半分以下の10インチまで画面が縮む。もう、作業スペースが少なすぎて、投げ出しそうになったこともなんどかあった。

まぁ、そこは持ち前の手抜き技で乗り越え無事完成。で、記念すべき最初の日記は2004年5月27日(木)だ。

ここに来て、また日記の書き方が変わった。

「自分のために書く」というスタイルに変わっていたのだが、スペイン紹介サイトを作ってしまった以上、そいうわけにもいかない。いろんな人にスペインを・・・いや、バレンシアを知ってもらいたいからだ。

それまで「内輪だけでいいや〜」と説明を省いていた日記が、急に細かい説明付きの日記なる。登場人物がいろいろいるので、わざわざ「登場人物」というページをつくったし、スペインについての単語の説明なんかもいれた。「読者が忘れてるだろうな〜」って思ったら、そのたびに説明していたし、よく使う単語・・・たとえばBocadilloとかTortillaとかも「スペインのサンドイッチ」とか「スペインの卵焼き」とかって何度書いたかわからない。

最初はこっぱずかしくって、日本の友達には教えてなかったのだが、ホームページを初めて作ったときみたいに、「たくさんの人にみてもらいたい・・・」と思うようになり、日本の友達にも教えたし、いろんなサーチエンジンにも登録した。

その甲斐あって雑誌にも載ったし、ZIP-FMにも出演できた。しかも3回も・・・。そのテープは恥ずかしすぎて、未だに聞いてないが。

目標としてはバレンシアといったら『ひきこもり』」といわれるようになることだった。

あれよあれよと日記の形がかわってしまった。

しばらくして、日本ではmixiなるものが流行はじめた。それをおいらは拓也の紹介で知った。「面倒くさいけど、サイトの紹介にはいいよ〜やってみな〜」とメールをもらった。

「サイトの宣伝」という言葉に食いつきすぐさま会員登録。そんでもって、バレンシア中の人間(日本人)を紹介しまくった。紹介するだけして、おいらはすぐにあきたんだけど・・・。「なんかいまさら・・・」って感じで。(※インターネットの前身であるパソ通の時代にやっていたため)

このときのmixiへの登録で、現在、悩みのタネを抱えている。

「ブログ」というのもおいらがスペインにいっている間に突如流行ったため、イマイチ事の起こりを理解していないのだが、mixiもその流行にもれず、mixi内の日記の他にもブログを活用できるという。が、おいらの日記はCGIで作っていたり、RSSがないとか、まぁ〜様々なシステム上の問題により、その日書いた日記がmixiに日々反映されないという問題があった。

じゃ〜支店と称して、ブログを作ろうとなった。本店はこの日記で、そこを書いたら、その文章をコピペするだけでよい・・・と手書きで別の日記帳に書くことを考えたらエライラクチンではないか・・・とそのときは思った。

だけど、今はそのコピペ自体が面倒になってきている。基本的に誤字、脱字は、日記の華だと思っているので、見つけても直すことはないのだが、あまりにひどい間違いのときは直している。それが、3つにも4つにもなってるのだ。日々の日記はまだいいが、やはり管理しないといけないため、徐々に億劫になってきている。

ブログを提供しているところはたくさんあったが、おいらが選んだのは「excite」と「はてな」の2つ。exciteはなんで選んだかよく覚えてないのだが、はてなはそのシステムが面白そうで試してみることにする。

とりあえず2つをほぼ同時に始め、どちらかを気に捨てようと思っていた。mixiへは、トップの構造がシンプルなexciteの方で登録した。

それがちょうど日記を再開して一年後の2005年の4月前後のこと。

・・・っていま気づいたが、もう3年近く、三国志みたいな状態を続けているってことなのか?あほだ・・・おいら・・・。

しかも、今、おいらが何を書きたかったのかわからなくなってきた。


2006年〜(出稼ぎ/石積み編)
約3年間のスペインひきこもり生活を終え、帰国したのが・・・いつだ?2005年の10月か11月。だから、ちょうど帰国して2年になるわけだ。つい最近、またスペインに1ヶ月いってしまったから、全然2年って気がしないが、あの見事なほどの「ひきこもり生活」からは2年だ。もう、おじちゃんやね。おいら。

ここから、おいらが最近ひたすら考えている「漢の死に様」について書きたいところだが、倍以上長くなりそうだからやめておく。

で、おいらは何が書きたかったおか、何を考えているのかというと・・・

・おいらと日記の関係と、その流れと合わせたmasaquitoに対する考察。

・とりあえず、年内にはてなとexciteは閉鎖したい・・・ということ。

・帰国後の日記にイマイチ釈然としていない・・・ということ。

・かといって、どうしていいのかもよくわかってない・・・ということ。

・そろそろ潮時なので、ここらで変化させたい・・・・ということ。

・10周年を祝おうと思って調べたら、なんかもう過ぎてるっぽい・・・ということ。

・最終的には、いつごろからまたスペインにひきこもるか・・・ということ。


ポジティブ思考で、なんとかやってるような気はするが、ふと振り返ると、そろそろというか、早くも臨界点が近づいているような気がしてならない。

そういえば、誰かがいってたっけ・・・

「あんた・・すぐ戻ってくるよ。絶対無理だって。性格的に。」

そんなこといってた人、一人じゃなくって、なんか沢山いたような気がする。

Masaquitoよ、Ferminよ、ヨモツシコメよ・・・頼むから、ホント頼むから・・・もう少し粘ってくれ。マジで。