自業自得の誤算と誤解
自分でも要領は良い方だ・・・と思っているのだが、ここにきて大きな誤算が・・・。
また今日もなんとな〜く長くなりそうだが、がんばって書いてみようと思う夜の1時。もう、遊ぶ時間がな〜い!
さて。どこからかこうか。
3年間の呑んだくれスペイン滞在を終えて帰ってきたのが、10月16日のこと。早くも4ヶ月がすぎたわけだ。
シェンゲン条約の規定によれば、すでに90日が経った今、戻ろうと思えばいつでもスペインに戻れるわけだが、つい最近までの、スペイン→一時帰国→スペインの繰り返しでできあがった体と脳のリズムが、おいらをスペインへと誘いまくりで、その感情を抑えるのに必死だった。それをどうにかこうにか乗り切っって現在に至る。
帰国直前、いろんな人に「帰っても仕事あるの〜」、「もう30歳でしょ?厳しいんでないの〜」、「なんだかんだで不況だよ〜」といわれても、あまり動じなかった。ハッタリが得意なのはおいらの自負するところだからだ。「1しかない実力を10に・・・」とまではいわないが、3とか4、ないしは5くらいには見せてしまえるハッタリだ。すべては根拠のない自信がなせる技で、それによって人から煙たがられていることも多々あると思われる。
帰ってきて、いろいろあったが、とりあえず仕事は見つかった。形態は派遣。出国する前は、男の派遣社員なんてほとんどいなく、「男で派遣なんて・・・」という感じだったが、帰ってきたら、あっちこっちに派遣会社の広告やら宣伝やら、無料雑誌が配られている状態。3年間の呑んだくれ生活へのリハビリもかねて、帰国前から派遣で働こうと思っていたおいらには、かなりラッキーな状況だった(何でも派遣法(?)みたいなのが変わったとのこと)。
「ほら・・・やっぱ仕事みつかったよ。全然余裕じゃん!」とは思いつつも、あまりにすんなり予定していた業種の仕事につけたことに戸惑いもした。まぁ、そんなところは人には見せないし、頭もネガティブに考えるようにはできてないので、スペイン滞在でさらにパワーアップした「Que sera sera」精神(いうたら、楽観主義)で本気で心配することなく仕事開始とあいなる。
おいらが仕事としてできることは、PC関連のことばかりでDTPとかWEB制作とかになるわけなのだが、はっきりいって、素人に毛が生えた程度なわけだ。いうたら、作れない人よりは作れるというくらい。まぁ、一度慣れれば、多少の応用はできるようになるし、コツをつかむのも苦手ではない。だけど、玄人ではない。
そんな状態を、さも「経験あります」とだけいって、そして、実際相手もそれだけ聞いて「はい、合格」と、二つ返事で決まってしまったから、さぁ〜大変。ドングリさんどころの話ではないわけだ。
だけど、こんな状態でもQue sera seraによって、どうにかなるでしょ〜となるのがおいら。
実際、仕事を始めて最初の方の仕事は、これまでの技術でなんとかなるものばかりだった。たまに「これはあまりやったことないな〜」という仕事も、応用の範囲でなんとかなっていた。
だけど、いずれつらくなるな〜と思い、仕事の合間に(最初は変な時に思い切り暇になったりした)、ハッタリを埋めるための知識集めと独学を開始したわけなのだが・・・そこにあった情報はおいらを愕然とさせるものばかりだった。
冷静に考えたら、日本が3年(実際に働いていたのは5年近く前になる)の間に眠っているわけではなく、さらにはPCの世界なんて日進月歩の世界・・・浦島太郎のおいらがどうにかなる問題ではない。帰ってきたら、友達一人もいなく、知らない人ばかりで、「あんた誰?」という状態なわけだ。
情報を集めていたおいらも、見たこともない・・・とまではいわないが、あまりに形式の変わったWEB世界の現実を目の当たりにして・・・「あんた誰?」状態。
具体的にいっても、サイトを作ったことのある人しか知らないだろうが、たとえば、CSS、たとえば、Frame、たとえば、SEOとSEM。
おいらがまだ日本にいたころなんて、CSSはブラウザ依存だから使わない・・・というのがメインだった。自分のサイトで使用していたので知ってはいるが、うちの会社(某超大手楽器メーカー)では、そうとのことがないと使わないことになっていた
Frame(フレーム)に関しても同じで、このサイトでは当然のように使っているが、今の主流は「No Frame」だ。どうもそれは次に書くSEOとSEMとの関係によるところが大きい。
SEOとSEMというのは、ぶっちゃけいってしまえば、「どうやったらYahooやGoogleの上位に出せるか」ということ。そして、そのための手段対策のことをいう。
今はぱっと思いついた3つをあげたが、ほかにもFlashの台頭(おいらは好きではなかったが、最近ではさりげなく、さらに上手い使い方がたくさんある)なんかもあったりする。とにかく、おいらにとってはこの3つだけでももうえらいことに。特にCSSが使えるようになったことで、サイトの世界は一新されたといっても良い。Javascriptとの連携なんかもでてきちゃったりするから、ドングリころころドングリこ〜お池にはまってさ〜大変!なわけだ。
冗談抜きで、あと一年遅く帰ってきてたら・・・考えただけでも死ねる。っていうか、もうかなり致命的な状態なのだが・・・。
そんなのっぴきならない状態だというのに、おいらのハッタリが断然の効き目で功を奏してしまったのが先月くらいのこと。
社内で某有名企業のコンテンツデザインをやることになったのだが、そのデザイン係の一人に選ばれてしまったわけだ。
意気消沈しているおいらは、なんとか逃げようとほかのサイトのコーディングに集中したが・・・しっかり待たれてしまい、結局デザインする羽目に。
そして、ここでまた大きな誤算が生じた。
あろうことか、提出した3つのデザイン案からおいらのが使われることになってしまったのだ。
これがすべての始まりだった。
はっきり言って、そして、しつこいようだが、おいらはデザインセンスとかそういう類は全くない。本当だ。ここに書いてるからって「謙遜」とかとらないように。ないものはないのだ。美大みたいなところをでた拓也(弟)の作るものの方がよっぽどデザインとして確率されている。おいらは色合いの勉強さえしたことがない。全部、いうたら「どっかからのパクリ」だ。まぁ、この世界パクってなんぼみたいなところがあるから、悪ではないのだが・・・。
宝くじに当たったんだったら、双手をあげて大喜びするが、あいての誤解とこちらの誤算によっての修羅場なんて勘弁してもらいたい。タダでさえ「賽の河原での石積み」だというのに・・・。
その後も、大きな誤解が続いた。
その社内コンペみたいなデザインのあとにも、またデザインの仕事がやってきた。
「も、もしかして・・・おいらこのままデザイン専門になってしまうの?これじゃ〜、仕事は?とかきかれたら「デザイナー」とか答えなくちゃいけなくなるじゃんか!それだけは避けたい。荷が重い」
すんげ〜不安に思う毎日が続く。
だのに・・・だのに・・・その新たなデザインでも・・・
社「ヨモツシコメ君・・・ここの質感あたりとか・・・流石ですね〜」
お「・・・」
ありえんたい!ありえんばい!ありえなかと!
それじゃ、なにか?おいらはスペインいってる間、さりげなく視力があがっていたけど、それと同じで何もしてないのにデザインセンスがあがったとでもいうのか?ありえんわ、ぼけ〜〜〜!!
絶対おかしい・・・なにかが間違ってる。
そりゃ、仕事をほめられるのはうれしいよ。認められないより、認めてもらった方が全然いいわ!だけど、やっぱり何かがおかしい。必死で作ってるとはいえども、ほめられるようなデザインじゃないと思う。どう見ても。
ただ、お世辞と考えるには、デザインの仕事が多すぎる。コンペで一緒に提出したもう一人は、すっかりコーディングや雑用の方に回っている。
そして、今日も・・・
女「今日はヨモツシコメさんにこのデザインとコーディングを頼みたいんです。で、ヨモツシコメさんですから、是非とも+αのこの部分もお願いしたいんですよ・・・」
お「・・・・」
なんか、読み返してみると「仕事できてるのに何困ってるの?自慢してるの?」とかとられそうな日記に見えてきたが、それは大きな誤解だ。違うんだ。つらいの。マジで、つらいんだってば。
おいらはね。こう、なんていうか・・・まだね・・・定時の7時にあがって、たまには平日呑みにいったりとかね、おうち帰ってサイトの更新したり、スペインの旅行記とかネタとか書いたりして優雅に過ごしたいの。
ってことで、今日もこつこつ石に絵書きながら、その石を積む・・・みたいな仕事になる。10時過ぎまで。
そして、ここでついにおいらのわからない世界に突入した。その+αの部分だ。
さ〜〜〜っぱりわかりません。
何を根拠に頼んできたか知らないけど、そんなことやったこともないし、おいらCGIやJavascriptは修正、追加くらいはできるのだが(それは面接時特にいってない)、手打ちで作るなんて無理。しかもSSIがでてきて、外部から呼び出して・・・。
お手上げ〜白旗〜!
お「すいません・・・そのあたり、全くやったことないんですけど・・・」
そういったんだけど、やることになりました。そして、未だ相手の言葉の端々に含まれる「期待感たっぷり」といった感じの雰囲気。
結局、助けてもらったり、サイトで情報調べながら作り上げた。
途中から、仕事忘れて「知らないことを知る」・・・おいらの大好きな知識探求の世界に突入し、大いに楽しむ。そして、無我夢中にやっているおいらに気づく。どうも、おいらはデザインよりもコーディングの方が向いているっぽい。あのコマンド+Nの恐怖はもう味わいたくない。
Macでいうところの「コマンド+N」・・・それは、白紙の紙を意味するのだ。
白紙から作り上げる創造力、空想力なんておいらにはない。おいらがあるのは「妄想力」なのだ。
そこには大きな違いがあるのだ。詳しい定義なんぞは知らんが、想像力、空想力というのは現実にとらわれることなく、そこから新しい何かを生み出す正の力なのだ。
対して、おいらがたぶんにもっている「妄想力」というのは、現実の状態をふまえながら、それを都合よく改竄しつつ、時には嘘やハッタリで塗りつぶす、いうたら、自分勝手な負の力なのだ。
Estherの「Voy Carin~o!」なのだ。
おいらはしばらく、何を当てにされていて、何を期待されているのかわからないまま働くことになりそうだ。相手が持っているヨモツシコメの像が全く見えない。
猛烈に忙しいとかではなく、自分では荷が重いと思う仕事を続けると、人間いったいどうなるんだろう。
大人になれるんだろうか?
何か壁を越えるのだろうか?
なんか、もがいてるな〜おいら。
まっ、こういうのもありっちゃ〜ありなのかな。
追記
日記で愚痴るのって意外と気持ちいいことが判明。こんな効能もあったのか・・・日記って・・・。