おもひでぼろぼろ

行脚した。

どこから書こう・・・a ver...。

残業がダメならもう残業なんてしてやらん!と、いつもよりもハイペースで石積みをすすめる。以前よりも我が石積み場のシステム慣れただけでなく、正確さも増してきたため、あれよあれよと石が片づく。

以前・・・フォルダの場所とか更新用作成素材の場所、LANディスクの中身なんかが全くわからない状態の時・・・なら半日から一日かかった石積みも今なら2時間もかからずできるようになっている。誰かと話して生き抜きするとか、こっそりさぼるとかはもうさっさとあきらめて、まるで自分一人だけかのごとく、石を黙々と積む。

石がなくなると、ゴブリン君に「石くれ〜〜〜!」とせっつき、また黙々と石積んで、またゴブリン君に「また石くれ〜〜〜」。それの繰り返し。

今日の石は自分がデザインしたところだったのもあり、もらった瞬間に片づけてしまうような形で、ゴブリン君も困り果て、少々フライング気味の石をおいらにあてがうが、「そんなことしったことか〜!残業しないんだからさっさと終わらせちゃる〜!
」とその石もとっとと片づける。

ゴブリン君、タネ切れ。

6時を前にして、な〜んも石がなくなる。

本当だったら、今日の予定としては昼飯前に初の担当となる仕事をなんとか片づけ、昼飯後からは、その前にもらった以前やったことのある石を片づけて終えようと思っていたのだが、やさしいゴブリン君は、おいらが初の担当となる石だったため、後半のための石をほかの人に回してくれちゃったのだ。その結果が「タネ切れ」となったわけだ。

石がなくなったわけだが、定時一時間前に新しく石をもらうのもアホらしいので、こっそり隠れながら、bookoffの店舗探しに精を出す。

今日は石積み後、桜新町bookoffに行ってみようと思っていたので、その住所を調べようと検索すると、なにやら面白い検索項目をみつけた。

絞り込み検索にあった「インターチェンジ検索」ってやつ。

県とか市とか区ならわかるが、インターチェンジとは面白い。

ためしに、家の近くにあるインターを手当たり次第入れてみる。

川崎・・・横浜青葉・・・横浜町田・・・・。

すると、あるわあるわ・・・bookoff

横浜青葉のあたりは暇をみてはいっていたので、いったことがある場所が多かったのだが、川崎インター付近は、なんか知らないが群雄割拠・・・とはいはないか・・・とにかく、すぐ近くに数件あったりして、画面に表示された地図の中や、ちょっと外にうじゃうじゃとbookoffがあった。

こりゃ、車で回ればbookoffはしごできちゃうんじゃないの?

真剣に考え出す。

7時ぴったりにAdiosしたとして、桜新町につくのが・・・たぶん7時半くらい。で、10分くらい目的の本(北方水滸伝)を探して、さっさとおうちにかえると8時ちょっと過ぎくらい。で、すぐ飯食って、9時前に家をでれば、閉店までの11時には結構まわれるのではないか・・・問題はここだ、ここ!ほかは11時だけど、大型店舗とかかれているここは、ちょっと離れているくせに閉まるのが10時と来ている。500円キャンペーンをやってる可能性があるから、見つけた先で先走って1000円とかで買うのももったいない。1000円でも半額だから全然安いが、500円にはさすがに負ける。う〜ん、どうするか・・・まずは遠くから攻めるか・・・・それだと、ルート的にうまく循環できない。同じ路を戻るしかなくなる・・・ドライブ的にもそれはつまらん。まてよ・・・目的の本はもう決まってるのだから、一つのbookoffには10分といる必要はない。「時代小説コーナー」にいってさっとみるだけだ。いや、まて・・・500円キャンペーンやっていたら、ほかの歴史小説も探したくなるのが史学科の悲しき性・・・そうすると20分とかかかってしまうかもしれない・・・いやいや、今は金欠。先日も大量に歴史小説を買ったからまだ数ヶ月は持つ。ここはがまんして、とりあえずはしごする数を増やして、水滸伝が見つかる可能性を増やした方がいい・・・うん、そうしよう。そうなると・・・問題は・・・またマリちゃんにbookoff臭い」とかいわれることだけか・・・やつもその恩恵を享受しているというのに、ホントわがままなヤツだ・・・。まぁ、そんなことしったこっちゃない。今のおいらの平日の楽しみは「昼休みと通石積み電車の中での読書」だけなのだから・・・(この間約60秒)

ということで、今日は一日で計6軒のbookoffを行脚してきた。これはすごい記録だと思う。自慢したところで誰もきいちゃくれないと思うが、そうできることではないのではないだろうか。今日からおいらのことをスペインの清水国明と呼んもらってもかまわない。姉ちゃん、バイトから社長だぞ!平成に羽柴秀吉といってもいいだろう。いまいち地味感はぬぐえないが・・・。

というわけで、7時と同時にダッシュ帰宅しようと思ったが、なぜかファックスの銚子が悪く、10分ほど足止めくらい、のっけから予定が少し狂う。

で、桜新町。降り立った途端、走馬燈のように様々な思い出が流れていった。というのも、約10年前にほぼ毎日のように寄り道した駅だったからだ。サザエさん通りももうお手のもん・・・と思っていたのだが、10年ぶりの桜新町は・・・全然変わっていた。なんか少し切なくなる。

ここのbookoffはとても小さく、目当ての本は、持っている巻しかない・・・とかではなく、一冊もなかったため、5分くらいで退散。これじゃなんのために、わざわざこの駅でおりたかわからないので、散歩でもして帰ろうかと思ったが、あとに影響するので、あきらめて電車に乗り込む。

桜新町にはたいしていなかったのに、電車の接続がとても悪く、帰宅したのは8時半を少し回ったところだった。予定よりも20分から30分ほど遅れていた。

なぜかサラダがメインディッシュだった夕食をさっさと平らげ、9時ちょっと過ぎには車に乗って出発。

行脚二カ所目は「あざみ野店」。15分とたたずに到着。この店は2階建てで広いには広いが、無駄なスペースが多く、見た目ほどたいした量はなかった。そして、水滸伝もなかった・・・だぶったのはあったが・・・。ここも10分といなかった。まぁ、ある意味予定通り。

行脚三カ所目は「たまプラーザ店」。このあたりもかつては庭のような場所なので、すぐに見つかると思ったのだが、以外と辺鄙なところにあったため少々迷う。タイムロスしたわりには、小さい店舗でがっかり。でもって、ここにもなかった。

今もっとも必要なのは水滸伝の9、10、11巻あたり。おそらく今週中には8巻を読み終えてしまうので、とにかくこのあたりは急いで必要なのだ。

行脚四カ所目は「美しが丘店」。地図でみただけでも、大通りからは少々離れた場所にあるようだったので、ナビを使用。それを見越していたおいらは、あらかじめ石積み場で調べた時の情報を自分の携帯にメールしておいたので、住所はすぐに入力することができた。

この「美しが丘店」は、情報欄に「大型店舗」と書かれていたし、場所も土地がありそうな場所だったので、かなり期待していったのだが、はたして、本当にでかかった。あまりゆっくりみれてはいないのだが、歴史小説はかなりの量があったので、またゆっくり来てみてもいいかもしれない。漫画の量も半端なかった。住宅地だけあって、売りに来る人が多いんだろうか。

ここでようやく持っていない水滸伝を発見したのだが、16〜18巻の3冊。これで、14
〜19巻+読本がそろい、後半の心配はする必要はなくなったのだが・・・まぁ、見つかっただけでもよしとするしかない。ただ、この店は500円キャンペーンはやっていなかった。本がだぶついても、収納スペースがあるところは、キャンペーンをやっていないのかもしれない。この店に来る前の2店舗もキャンペーンはやっていなかった。

行脚五カ所目は「長沢店」とかいうところ。場所は生田の方とだいぶ離れてしまうので、ここまで行く予定はなかったのだが、なかなか良いペースだったし、ナビもあるのでついでとばかりに足を伸ばしてみる。

話は飛ぶが、ここにくるまでにも、桜新町同様、おもひでがぼろぼろと落ちてきた。中学、高校が鷺沼だったのもあり、たまプラあたりには友達も多く、車で走っていると、かつては何度となく通った場所ということを思い出すこと数度。

「ここ・・・たけしの家やん!」とか「あ、ここは、飯田の家だ・・・」、「ここちょっと行くと野添の家だし・・・」、「こっち行くと藤井の家だし・・・」。

家を思い出すと同時に、その当時のことが芋づる式ででてくるわ、でてくるわ。BGMにはこれまた偶然だが8年前くらいにはまりにはまった坂本龍一の曲をかけていたもんだから、もうそりゃ大変。

一気に高校時代にトリップする。

そして、追い打ちをかけるように、生田高校!!!バスケの公式戦で会場となったことがあり、二度ほど遠征したことがあるのだが・・・この高校で、おそらく生涯最初で最後となるであろう、ファンレターなるものをもらったことがある。バスケの試合の日だ。その子は生田の生徒ではなく、某カタカナ女子高の生徒だった。

今日この高校を見るまで、そんな出来事すっかり忘れてた。男同士で呑むとたまにある「過去の栄光談義」でだしたことさえない。今度出そ。

高校二年生の時の自分・・・さわやかかりし頃の自分・・・お懐かしゅうございます。そして、今の無惨な自分よ、こんにちは。かなしみよ、こんにちは。これからもよろしく。

長沢店には水滸伝はなかったが、「アトランティス大陸」をテーマにした漫画「イリヤッド」を発見したので、それを二冊購入。金欠なのはわかっていたが、半分ヤケ。なんか成果ださないと・・・と思って買ってしまった。


行脚最終地は「川崎インター店」。この近辺は家庭教師のバイトでよく来ていたので、迷わずつく予定だったのだが、ナビを信じたおいらがバカだった・・・無駄に住宅地通され、ぐにゃぐにゃ走らされて、行き止まりにぶちあたり・・・なぜかあり得ない場所からでてきた。

「さっきのところからまっすぐくりゃ〜いいじゃねぇ〜か〜!」と叫んだところで、ナビは我関せず。

「目的地に近づきましたのでナビを終了します」

だとさ。やれやれ。

つぎからつぎへとでてくるおもひで。

この川崎インターから3分ほどいったところで、二年ほど家庭教師をやっていた。中学校からず〜っとやっていた生徒の幼なじみの女の子が家庭教師を欲しいということで紹介してもらい通うようになった。

おいらの専門は中学受験だった。自分が受験して6年間通った某男子校が、おいらの時代よりも恐ろしく偏差値があがってしまったという棚からぼた餅効果と、家庭教師歴が結構長いこともあり、中学受験ということだと、ある界隈のマダムには好評であった。

が、今回紹介された子は、初の女の子であり、しかも高校受験をひかえた生徒だった。それまで高校受験を教えたことがないわけではなかったが、その場合、基本的には家庭教師という存在は「勉強を教える」のではなく、「勉強をさせる」というのが目的になることが多い。中学受験の場合、なぜ楽かというと、変に洗脳されてたりするもんだから(日能研でも学樹舎とか母親とかによって)、宿題だせばちゃんとやるし、普段塾通いしているもんだから、わからないところもたくさんでてくるし、教えることもでてくる。でもって、生徒だけでなく、ママンも洗脳されてるもんだから・・・最初に設定される時給が恐ろしく良かったりする。希望校に受からせた日にゃ〜〜それはもう。と、日数は少ないながらも、本当に
おいしいバイトであった。

話が飛びすぎた。

で、その中三の女の子・・・。おそろしいことに、上に書いた小学生みたいに勉強をする子だった。これが男だったら、なんだかんだと宿題やってこなかった言い訳するわ、授業そっちのけで違う話にもっていこうとするわ、ドタキャンあるわ、仮病使うわで大変なのだが・・・その子は恐ろしいほど優等生であった。

あまりに勉強するので、ある日訪ねてみた。ありがちな質問だとは思ったが・・・。

お「将来何になりたいの?」
生「弁護士です!
お「・・・・」

当時、おいらは21か22才であったが、その時点ですでに、おいらにはまぶしすぎた。

ちなみに、顔は内田有紀に似ている。おそらく学校でもてるに違いなかった。おいらにとっては「闇」がなさすぎて、ある意味つらかったのだが・・・。でもって、スポーツも万能で毎日部活で剣道をやっていて、さらにそっちの方の成績もよい。マラソン大会でも上位入賞とかなんとか。パパンはSonyエンターテイメント(当時は違う名前だったような・・・)で、ママンはピアノの先生。

こんな家庭があっていいのかっ!

となんど思ったことか。

その子は無事、志望校に合格したが、その後も家庭教師はしばらく続いた。このあたりから、かなり怪しくなってきた。

それ以前も、あまりに教えることがなかった。というのも、問題とかせても全問正解するし、たまにわからないことがあっても、ちょっと教えればすぐにマスターしやがる。

そして、あれよあれよと時はすぎ、おいらの学力は追い越された。

英語は浪人時代腐るほどやったので、英文法の機微みたいのはまだ教えられたが、中学・高校でもっとも苦手だった数学はもうおいらにはどうしようもなかった。

生「先生・・・これわからないですけど・・・」
お「ん?どれどれ?え〜ちょっとまって・・・解いてみるから、その間にこっちの問題やってて・・・」
生「はい」
お「う〜ん」
お「う〜ん」
お「う〜ん」
お「できた・・・けど・・・あってるのか?これ?こんな数字になるのか?解答は?」
生「これです」
お「・・・・間違ってるやん!おいら
生「(笑)」
お「あ〜時間もったいないから、これ家でといてきて、来週教えるよ」

そんな風に、家でなぜか数学の問題とにらめっこになる日が徐々に増えていき、そしておいらは教えることがなくなってしまった。あるにはあるが、自分の存在意義がまったくもってわからなくなってきた。

そこででてきたのが、彼女の妹。妹は当時まだ小学生で算数のドリルなんかが宿題に出されていた。ママン曰く、姉と妹は全然タイプが違うらしく、それはみてすぐわかった。妹は・・・ボケボケなのだ。姉と違って、自然にゆだねるタイプで、間違っても「弁護士!」とかいうようなタイプではなく、どちらかというと「お嫁さん!」とか、あるいは「リカちゃん!」とかいいそうなタイプの子だった。彼女たちのママンは教育ママとかいうにはかけ離れているタイプで、ほとんど子供に干渉しないタイプだった。「娘がやりたいっていってるからやらせている」という感じ。勉強ができてもできなくてもいいらしいが、さすがにドリルについていけない妹のことは、心配していたらいい。

はたして、おいらは・・・ドリル担当になった。

一応姉がメインなのでそちらを教えるのだが、数学の問題とかは一つ一つが時間がかかるし、英語も長文になったりすると、おいらがやることがない時間もでてくる。しかも、教えてもたいしたこと教えられないし・・・。サービスというかお詫びのつもりで、妹の勉強も教えることになった。

左に姉。右に妹。間においら。なんか異様な光景。左に難しい問題をとかせている間に、右ではドリル。分数とか。

もう、頭の中ごっちゃ。でもって、たまに「先生の取り合い」になる。

妹「あたしが今先生に教えてもらってるんだから、待ってよ!」
姉「もともとあたしの先生でしょ!」
お「あいあい・・・あいあい・・・ちょい待ちなさい。ちゃんとやるから・・・」

このとき初めて、姉の人間らしい部分を見た気がする。小学生の妹と喧嘩するんだ〜とちょっとほっとした。

この家庭教師先もいろいろとおいしかったのだが、大学二年くらいのころから、休みのたびに旅、旅、旅・・・となってしまい、姉のほうも、勉強にプラスして、高校に入っても続けていた剣道なんかで忙しくなり、家庭教師の時間が合わなくなり・・・夏休みが終わったあたりで、自然消滅のような形で終了してしまった。

おいらとはたしか、7才か8才くらいの差だった気がするから・・・そうなると、姉は24才くらいで、妹は20才くらい!!!うげ〜〜〜!!どんなになってるんだろ〜。

侘び寂びのある女性になってくれていることを祈る・・・が、あの感じじゃ、まだ弁護士の卵とかになってるんだろうな〜。

「妥当です!」

って・・・彼女、もしや・・・マリちゃんと同い年くらい?

なんかショック・・・。立ち直れないくらいショック。

思い出話って楽しいかも。

閑話休題

川崎インターのbookoffでも水滸伝はみつからなかったので、むかついて陳舜臣の「チンギス・ハーンハーンの一族」をまとめて購入。1巻だけあったので、4巻まで3冊。

おもひでついでに帰りは、今はなき母校の前を通って帰ってみた。噂にはきいていたのだが・・・・

みごとに更地になってやがった。

聖者ドン・ボスコ、我らが父よ〜♪もいなくなっていた。

学校の形を生かして老後施設に利用するとかなんとかいって、何年もほったらかしだったが、ここにきて急に開発を進めることになったようだ。

もう、だだっ広い広場の状態。残っていたのは、おいらの嫌いだった6.8kmコース(通称「ロッパチ」)のスタート地点だった、校舎の間を通っていた細い路地だけ。まだショベルカーがあるところをみると、掘削している最中のようだ。

母校がなくなってもう何年もたつが、さすがにここまで跡形もなくなると、もう悲しみを通り越して、痛い。

先日見に行った新校舎は、広くなったし、綺麗になったし、Modernoになったしと、まぁ、悪くはないのだが、自分の学校のような気はまったくしなかった。

あまりに胸のあたりが痛かったので、もう一軒bookoffにいってやろうと、適当に車を走らせてみたはいいが、あれよあれよとあらぬ方向にいってしまい、危うく川崎駅方面にいってしまいそうになる。

こりゃいかん!と切り返し、左折左折で元に戻ろうとして、入り込んだのが、梶が谷というなの、独竜岡(ドクリュウコウ)。

眼下に246をぶんぶん飛ばす車がみえるのだが、いっこうに下りられる気配がない。突然の行き止まり、車両禁止の路地にぶちあたりまくり、結局もときた道を戻る羽目に。

その後無事246にのったのはいいが、目の前のトラックが明かに居眠り運転しているようで、ヒヤヒヤしながら、横を通り抜けて帰ってくる。

二度目の帰宅は11時ちょっと過ぎ。約2時間のドライブ。


悪くないドライブであった。

次回は、鶴間あたりをブイブイいわせてやろう。


追記
最近明らかに独り言が多くなってきている。会話がないからなのだろうか・・・。