我が町の名はUtiel

に決定。

多少ややこしくなりそうだが、まぁよしとする。

過ぎ去った日の分を軽く記録。

木曜日。

おぐりとむんの3人でささやかなお祝い。めでたい話が二つ・・・いや、正確に数えると三つも舞い込んできてめでたい気分になる。かなりご機嫌。人の幸せを口だけでなく心から良いものと思えるようになった自分に気づき、さらにご機嫌。

ふと、はるか昔、あらぽん「なんか幸せな話してくれよ〜。そうするとオレも幸せになるから・・・」とかいっていて「なんのこっちゃ」と思ったが、その意味がよくわかる。っていうか、あらぽんさんよ〜あれってもう、何年前?10年近く前になるんじゃないの?なんで20かそこらで、そこまで達観できるんだよ。友達ながら恐ろしいよ。あんた、すでに翁だよ。翁。マジこえ〜。

店はお茶の水の粟国ちゃんの店。粟国ちゃんが偶然いたから「あ、粟国ちゃんだ・・・」といったら「だれじゃいぼけ〜っ!なんであたしの名前しっとんじゃ〜」(沖縄人なので実際はウミンチュの言葉で思っただろうが)って顔をしながら、「ごめんなさい。覚えてなくて」と謝られた。おいらとしてはさりげなく「スケコマシ」のポジションを与えられたような気がして、何の前触れもなくうっかり名前をいってしまったことを後悔した。

最近というか、その日、山岡さんが、「日本にはうまい酒がない・・・」と嘆いていたスコッチオヤジを説き伏せたように、「泡盛」の偉大さを知る。もう知りまくり。すげ〜よ、泡盛。これまで、何度も呑んできたが、今日ほどすごいと思ったことはない。

というのも、ご機嫌麗しすぎて、木曜日だというのにしこたま呑んだが、全く酔わず。同じ蒸留酒なのに焼酎ほど退屈でなく(多少語弊があるが、日本酒のほうが楽しいというのがおいらの意見)、日本酒だとちょっと危険な量呑んでもOtro Mundoへ片足もつっこまない。しかも、Aunque 普通の居酒屋のそれほど上等な泡盛にもかかわらずだ(勝手な推測。ただ、良い酒はそれなりに高いというのは事実なり)。

今回の収穫は、おぐりには「土の匂い」と言われ、おいらも確かに「腐葉土の匂い」がすると思った「白百合」という泡盛。これがまたうまい。贔屓していっておけば、粟国ちゃんが「これは私のお薦めです」と教えてくれた「忠孝」も濃い目で悪くない。前に来たときは、久米仙が初心者向けらしいので、そればかり呑んでいたが、ここまでいろいろあると、日本酒を楽しむようにいろいろ楽しめる。どうも焼酎は途中から全部同じ味がしてしまってならん。良い奴呑めばいいのだろうけど・・・。

ちなみに、おぐりは「シークヮーサ」で割ったモノしか呑んでいなかった。このシークヮーサは場所によって「シークアーサ」だったり、「シークワーサ」だったりするので、ウミンチュの粟国ちゃんにきいたところ、「シークヮーサです」と帰ってきた。「いや、ちがくて・・・ワなの?アなの?」ってきいても「シークヮーサです」と音の響きだけで帰ってきた。まるでMi Kyungに韓国語を習って、どう考えても正しい発音をしているのに「ちがう!」って怒られているような気がした。答えとしては「ワ」でも「ア」でもなく「クヮ!」らしい。ウミンチュもその辺は曖昧ということだ。

たいていこの酒量だと寝過ごして、再び渋谷・・・なんてことになることが多いのだが、ぱっちり目が覚めて帰宅。あまりにご機嫌なので、スペインから持って帰ってきて、まだ一本もあけていない安Vinoコレクションでもあけようと思ったが、味わって呑まないとやはりもったいないと思い直し、大人しく寝た。


金曜日。
今日はお通夜であったのだが、前日、例のごとく、なんの連絡もないままだったため、あまり関係ない派遣石積み職人のうちらは帰されると読んでいたのだが、正石積み職人が出発する直前になって「もうしわけないのですが、待機していてください」という指令を受ける。

ということで、おいら一人ぽつね〜んと残される(※他の2人は別の階であるため)。

普段は人がいてもかなり静かだが、やはり本当に誰もいなくなるとかなり静か。そして、監視されていないにもかかわらず、シコシコと石を積んでいる自分に驚かされる。お通夜中なのに・・・と不謹慎に思いつつも、とりあえずオフィスをウロウロと一人練り歩いてみた。

そんなわけで、今日は弔い酒もかねて誰かと呑もうと思っていたのだが、時間が読めず誘ってはみたものの誰も捕まらず。8時半頃、退石積み場したが、やはりまだあきらめきれず、リーサルウェポンのねねちんに連絡。留守電。完全にあきらめる。が、10分ほどたって携帯がなる。無事、捕獲に成功。しかし、9時合流のはずが、10時になる。まぁ、それくらいはいたしかたない。

夜の渋谷はえらい人が多い。たぶん、給料日あとってのもあるんだろうけど、どこもいっぱい。こうなりゃ、学生いっぱいの居酒屋だ〜と、昔はよくつかった「東方見聞録」とかがあるビルの呑み屋を当たってみる。そこがたまたま穴場であった。知名度が低いからなのか、2つ上くらいにある当方見聞録は激混みなのに、その店はかなり席が空いていた。しかも、泡盛発見。ボトルで注文。2本目突入。そっちは焼酎。Otro Mundo突入・・・。フラフラ帰る。そして、爆睡。

これがおいらの弔い酒。


土曜日。
昼過ぎまで寝ていて、その後、先日注文した会社のPC到着。セッティングで一日終わる。

夜、いまさらだが、バッファロー'66」を見る。ビンセント・ギャロとアダムス娘の映画。以下、感想。

【バッファロ'66】 3.4点(5点満点)

実は、この映画、これまで何度も見るチャンス(一人24時間耐久映画大会などで)はあったのだが、毎回その機を逃してきた映画といってよい。ここまでくると「おいらに見て欲しくないんじゃないだろうか・・・」とさえなって、かわいさ余って憎さなんたら・・・で、意地でもみてやらね〜と思うようになってしまった映画。だから、最初から不満タラタラで見始める。「クリスティーナ・リッチはかわいくない」とか「太りすぎ」とか「どうせ、ビンセントギャロのナルシー映画でしょ」とか・・・。

というのも、他の人の映画評を見てしまったから。普段は映画を見る前には、まず前知識を入れないで見るのだが(映画館でみてしまった予告は除く。ぴあなどのあらすじは絶対見ない)、あまりにも機を逸してきたもんだから、悔しくて「いったいどんな映画なんだろ〜」と思って、うっかりサイトなんかで調べてみてしまったのだ。そんでもって、そこに書かれて評価をすり込まれてしまったのだ・・・。だから、映画評はみないのだ。書いてるけど。

結論から言うと・・・いろいろ「え〜〜なんでやねん!」となる不満点はいくつもあったが、いい映画だったと思う。嫌いじゃない。予想したとおりの終わりではあったが、おいらが望んだ終わりだったというのもある。「そうそう、人間そうでなくっちゃ、うんうん」と、一人オヤジなうなずき。

映画内でも、小さいパンチが所々にある。マニアックというほではないが、「そうきたか〜こんにゃろ〜」って。ビンセント・ギャロの風貌と、彼の演じるキャラクターのギャップをうまく使っている気がする。「ギャップ」を使うのは、男の常套手段でもあるからな・・・卑怯と言えば卑怯だが、ばれなきゃ良し。

この映画・・・なぜか英語が聞き取りやすいので、字幕だと「字面」だけで読んでしまって失いがちな勢いみたいなのが結構楽しめる。そして、その聞き取りやすい英語を連呼するもんだから、ついつい、知らずと映画をみながら口ずさんでしまうくらいだ。

どのキャラクターも、極端な性格なため、知らない人ばかりなのだがなぜか印象に残ってしまう。

期待しないでみたというのもあるのだが、バランスがとれたいい映画だと思う。ただ、すんげ〜好みによりそう。

クリスティーナ・リッチに関しては特になし。彼女でなくてはいけないような気もするが、彼女じゃなくてもいい気もする。なんか、裏で金が動いたという情報もはいってきてしまっため、あまりしっかりみなかった。とても綺麗な顔をしているとは思うが、彼女の造形が一番が一番バランスがとれていなかった気もする。

あの体だったら、顔がもっと・・・丸いんじゃないの?アメリカ体型ってやつ?


日曜日。
マリちゃんの引っ越しの手伝いをする。いや、手伝いってほどでもないが、一応手伝ったことにして、おごってもらうことにする。

前の入居者がでていったということで、部屋を見せてもらえることになり、メジャーをもって馳せ参じる。

部屋は前よりだいぶ広くなっていた。収納がでかいのがいい。おいらの部屋は屋根裏部屋で収納らしい収納が一つもないため、収納にある種憧れがあるのだ。どれくらい大きいかというと、ドラえもんが2.5人くらい寝ていそうな広さだ。

二階であるため景色も悪くない。町は大きいが、立地的に閑静な場所にあるので、思いの外静かだし、遮蔽物も少ない。人の家ながらちょっとうらやましくなる。

でていったばかりからなのか、まだ部屋は汚かく、前に住んでいた住人が男か女かということが気になりはじめ、手伝いそっちのけで、探偵業に奔走する。ポストの中を確認したら、すぐに男ということが判明。それだけじゃつまらないので、「どこからだ??」と送り先を見ると「ホースクラブ」・・・「乗馬??も、もしや・・・ボンボン?」。それで満足し、探偵業は店じまい。

少しは手伝わないと・・・と、おざなりにメジャーで部屋の寸法だけ調べ手伝い完了。あとは、マリちゃんが買いたいというものに、大人の意見風にいちゃもんをつけたくらい。

「まぁ、まて・・・tranquira!本当に必要なのか??それ。」

人に自慢できる数少ないものの一つに「人にモノを買わせるのがうまい」という特技があるが、逆説的に「買わせない」ということもできてしまう。ただ、あまりに文句いっていたら、怒られた。

そういえば、とある店で東川亜希子という人のCDを聴く。かなりいい!天気の良い日のドライブなんかでかけたらさぞかしご機嫌になれることだろう。どっかで聴いたことあるような歌声と曲なのだが、結構気に入る。が、財布を車に忘れたため買えず。

今度買う。これあらぽんあたりは結構好きなんじゃないかと思うが・・・。

予定通り、焼き肉をおごってもらう。そして、F1のALFOSOを応援したが、シューマッハに負けるところを見て寝た。余談だが、オーストリアにいったときシューマッハーの弟の家とやらを教えてもらった。弟はオーストリアに住んでるのか?

なんか、今日は雨の中、うっかりスペインスタイルであっちこっちかなりの長時間徘徊してしまったため、まったりしていたようで、だいぶ疲れてしまった。



・・・軽く書くつもりだったのに・・・長くなってしまったが、ようやく今日の日記。


今日は一日、おいらではなく、カーリーがご機嫌であったようで、彼女の笑い声が一日中こだましていた。ちょっとびっくり。だが、なにやら石積みでミスを犯してしまった模様。で、反省するのは良いが、「あ〜これは私の認識が食い違ってましたね。本当にすいません」という台詞を連発するもんだから、おいらがちょっといらつく。

あの「認識」って単語、なんだか微妙に、いや、とてつもなく「主観的」ではない単語な気がして嫌い。良くおいらの周りの石積み職人は使うのだが・・・「当方はこういう認識です」ってやつ。好きになれない。

そして、反省しているようなのだが、その単語のせいで全く反省しているように見えないカーリーもなんかダメ。っていうか、黙々と石積んでるおいらのすぐ真後ろで、壊れたレコードみたいに「認識」、「認識」いわんでくれ。気が散る。

辞める直前のいじめなのか、天然ボケのヘケットさんが大人気。もうえらい勢いで石を投げつけられているもようで、例のごとく「あわあわ」いっていた。だもんで、一緒に昼飯は食べられず、ラクシュミさんと食べに行く。いじれるヘケットさんがいないと、意外と沈黙が増えるから不思議だ。

賽の河原全体がかなりの忙しさなのだが、もう、うちの石積み場の要領の悪さにはなれてきたので、ゴブリン君から投げられる石を、投げられた瞬間に投げ返し、また投げられ、また投げ返しを繰り返して、8時くらいには退石積み場。

最近気づいたのだが、うちの石積み場は「帰る!」というオーラを出せば、すんなり出してくれる。だから、帰れない一番の要員は「まだ、みんなやってるから、手伝った方がいいかな〜」っていう、「優しさ」。

それをもってしまったがため、しばらく苦しんでしまったが、悟りを開いた今は違う。「そんなもんいらん。金より時間。やるならやれ。おいらは帰る」これ一番大事。


・・・タイトルで書いたはいいけど、それも書くのか???長くなる・・・。

知らない間に、あらぽんソニータイマーを埋め込まれたいたようで、ここ最近のおいらは、かなりのバッテリー切れ。ソニーにバッテリーとなると、ちょっとタイムリーすぎて、超イロニコな感じがするが、まだ帰国して一年たっていないが、そろそろ壊れそうな感じ。

「寝だめ」ができるから「スペインひきこもりだめ」もできるとタカをくくっていたのだが、あらぽんの策略と、知らなければよかったOLの世界、それと自分を見誤ったのもあり、おいらの「第一次石積み職人」としてのやる気は、右肩下がり。さらにオアシスがみえてしまっているため、石積みにかける以前の情熱はほとんどなし。いうたら、消化試合。すでに、まだ見えぬ次ぎなる「新石積み場」へ目が向いてしまっている。

次の石積み場は「渋谷」近辺・・・いや、「渋谷」あたりを考えている。というのも「寄り道」がしたいからだ。

今のおいらが石を積んでいる石積み場がある「三途の川」も、立地的にはかなり最高のポジションにあるのだが、それは「どこかへ行く」場合であって、寄り道するには最悪。人によってはいいのかもしれないが、おいらには最悪。乗り換え駅が「永田町」だからだ。

あんな駅、国会図書館に行くときくらいしかつかわん。「寄るな!触るな!」というくらい何もない。まぁ、町としての機能が機能だからしょうがないともいえるが、そこを乗換駅としてしまった、おいらのことも考えてもらいたい。

本屋もないし、Cafeもないし・・・まぁ、マックくらいあるが、マックはいかん。

おいらとしては、「お〜今日は仕事早くおわったや〜ん。ちょっとCafeでまったりしていこうかな〜、その前に本屋いって〜でもって、明日から週末だからスペイン映画借りて〜」っていう、人並みの生活を送りたいのだ。

それが今だととても難しい。永田町から電車一本で帰れてしまうため、わざわざ途中下車して渋谷によるきになれないのだ。これが誰かと呑むという理由だったら、喜々として下りるのだが、アテもなくフラフラするために降りるのはおいらでもちょいとつらい。だが、これが石積み場のある場所が渋谷となるとだいぶ違うのだ。きっとそれは数多くの人がわかってくれることかと思う。

おいらが、「来年で石積み場を変える・・・」という話をすると、「新宿にしなよ〜」としばしばいわれるが、もうしわけないが、おいらは「新宿嫌い」なのだ。

相「なんで?」
お「人が多いから」
相「渋谷だって人が多いじゃん!」
お「町が嫌いなの。それに、一度の視界にはいる人間の数は明らかに新宿の方が多い!駅とかもう最悪」
相「でも、若い子ばかりだし、なんかイヤじゃん」
お「いいの。若い子がいかないところいくから!」
お「あのな・・・新宿・池袋・渋谷の3都市でな・・・一番町の作りに成功しているのは渋谷なんだって・・・あの土地柄上、そうなったんだよ・・・。まずな、池袋は大失敗なんだよ・・・でな・・渋谷と新宿はな・・・」

とその後、延々と歴史の話になるのだが、誰も耳を傾けてくれない・・・そんな話をおいらは何度かしている。


スペイン関係の人間とはしばしば話すのだが、東京=Madrid、大阪=Barcelona、横浜=Valenciaということになっているのだ。Valenciaのポジションは人によって様々あるが、大阪と東京の位置は、バルサとレアルのポジションからみてもうなずく人は多い(笑)。サッカーをよく知らないおいらにとってはどうでもいいことなのだが・・・。

たしかに新宿は何でもあるかもしれんが、町の作りが嫌いなのだ。目的の店とか、お気に入りの店があれば別だが、とにかく歩いていて楽しくないし、歩きづらい。が、渋谷は確かに新宿にひけをとらないくらい人も多いし、やんちゃくれな若者も多いが、町が遠くへ、遠くへと伸びていく発展性のある作りなのだ。池袋と新宿はデパート崇拝しているおばちゃんのために作られてるの。特に池袋。最近は変わったらしいけど・・・。体力のある若者は、歩かされる渋谷でも困らないの。わかるかねぇ〜わかんねぇ〜だろうな〜。

まぁ、一番の理由は、うちから電車を一回乗り換えなければいけないという理由だけなんだけどね。本気で買い物するときは、新宿行くし・・・。池袋はいかん。あれは、サイタマーニョたちのための町だから。

文句をいいつつも、今の状況(池袋派、渋谷派、新宿派がある状況)の方が、スペインの愛郷心っぽくって好きなんだけどね。

ってことで、おいらの生活範囲内をスペインの都市に置き換えると、

新宿=Madrid
渋谷=Barcelona

となる。

これをいうと、スペイン関係の人間からは「え〜〜〜〜〜!!!!!」と言われてしまう。得てして、Madrid好きよりもBarcelona好きの方が多く、渋谷好きよりも、新宿好きの方が多いからだと思われる。特に女の子は。

で、Valenciaは、おいら的には「町田」。なんかほっとする。これも「え〜〜〜」と言われるが、言ったもん勝ち。池袋はさしずめ・・・Sevillaあたり?これはうなずいてくれる人と、そうじゃない人で別れそう。うなずいてくれる人の方が少ないか・・・。

じゃ〜、おいらの住む町は・・・と帰りがてら考えた。

何もない田舎を考える。

Zamora・・・あそこはすんげ〜素敵な町だった・・・Benabente・・・いやいや、ロマネスクが・・・・Toro?・・・Vinoうまいやん!!!Teruel?・・・寝坊していってねぇ〜し・・・Valenciaが町田だとすると・・・近くだと・・・Requena?・・・あそこはマニアックな楽しみが転がっている・・・うちは本当に何もない。見事になにもない・・・

あ、Utiel

Gastronomicaがあるので、うちよりは全然すばらしいが・・・あの、町自体のもつ「わびしさ感」は我が町に匹敵する!町の人に「Utielでみるところは?」というと、みなが困った顔をするUtiel。

うん、Utielに決定。

これまで日記で地元の町をどう書いていいか困っていたが、以後「Utiel」とすることにする。本当のUtielに関して書くときに困るかもしれないが、そのときはそのときに考えよう。

今日から、我が町の名はUtiel。

少しは素敵になって気がする。


追記
カーリーは埼玉があまりお好きでないらしい。石積みの話をしているカーリーの声を聞いていたら「埼玉?なんじゃこりゃって感じでしょ?」という台詞が耳に飛び込んできた。そんな彼女はヒロシマーニャ(らしい)。デングルの歌「ニセモノ フーリガン」を聴かせてあげたい。