96→30000

今日・・・木曜だと思ったら水曜日やんか〜。31日まであると思ってフライングした。やべ、あと2日あるの?最近気づいたけど、土日本気で遊ぶとその週実はちょっとつらかったりする。人生、思いこみでいきてきたので、気づかないように、気づかないように・・・気づいても気づかないふりしていたが、今日、曜日を間違えることによって気づかされてしまった。でも、これは齢を積んだせいではない。石積みの疲れが蓄積していっただけで、3月に1ヶ月かけてリセットすれば元に戻るはず。そう思いこむ。

話は飛ぶが、ねねちんがクリスマス近くにスペインにいくらしい。バルセロナとスペイン北部。バルセロナのクリスマスシーズンは歩いているだけで楽しい。特にカテドラル前のクリスマスグッズ売り場は、日本と違って超リアルな、生きたクリスマスグッズが売られているもんだから、買う気はないのだがウキウキしてしまう。日本でクリスマスを祝うなとかそういうことをいいたいんではなく、なんとなくだが、クリスマスには石の建物が似合うのだ。木造にはちょっと生えないのだ。Aunqueクリスマスの飾りがもみの木だったとしても・・・偏見といわれればそうなのだが、おいらの中ではそうなのだ。

クリスマスシーズンのスペインは、友達が一斉に帰ってしまったりなどして、なんとなく寂しいクリスマス・・・スペイン留学初めてすぐに迎えたあのmercadonaでステーキ肉買ってきてむしゃむしゃ寂しく食べた、あのクリスマスを思い出してしまう。まぁ、あれはあれで楽しかったけど、クリスマス=贅沢な飯=肉っていうのが、なんとも詫びしかったな〜。PISOに住んでたイタリア人もドイツ人も実家に帰っちゃったし・・・あ、でもUVA12粒食べて楽しかった想い出もあるか・・・。

ってことで、今年はちょっと大きいFiesta de Navidadをやることにする。去年はクリスマスど真ん中にやってブ〜イング続出だったので、今年はずらす。まだ動けてないけどさ。

まぁ、いい。そんなことを書こうと思ってるんじゃない。

なんだっけ。

あ〜そうだ。スペイン時代は貧乏だったのだ。とにかく貧乏だったのだ。留学当初はそれはそれは金持ちだったけど、まぁ、石積まないで生きていれば、日々マイナスなわけで、それが3年も続けば、数字の桁も徐々に減っていくわけで・・・。

3年目あたりになると本気で貧乏で、その日の煙草を買うのにも事欠く始末。一時帰国したときとかにあわててバイトして稼いだりもしたけど、まぁ、おいつかないわな。いくらバレンシアの家賃が安いといったって。

Vinoの値段も10eurosまではさすがに行かないが、普通に5eurosとか8eurosのVinoを安い安いと呑んでいたが、後半の方は3eurosのVinoでさえ「清水Vino」になっていたわけだ。

まだちょいPijoなころ・・・いうたら、まだ貯蓄が底をつきかける前のこと・・・5euros緒くらいのVinoをみたタカシ君に「ずいぶんPijoなVino呑んでんなぁ〜」といわれて、「え〜〜そうかな〜」と返したことがあったが、そういったタカシ君の気持ちが痛いほどよくわかるようになったわけだ。

このあたりから貧乏を楽しむということにする。いうたら「清貧」や。清貧が貧乏を楽しむことかどうかは別として、自分をそう称していた時代があるわけだ。

VinoはMercadonaのVino自体がPijoな部類にはいり、近くのBodegaに空になった2Lのペットボトルをもっていき、1L=1.2eurosのVinoを2Lいれてもらう。瓶Vino2.5本弱分で2.4euros。格安だ。それを日々のVinoにして、タカシ君やら友達がきたときはMercadonaやBodegaで売っているちゃんとした瓶にはいったVinoを買うというような生活に変わった。

自宅でできるバイトをし、その収入まで友達に100eurosとかお金を借り、収入が入ったらお金を返すという自転車操業的な生活に突入。いかん、このままでは帰国が早まる!!と始めたのがガイドのバイト。時間は腐るほどあるので、趣味と実益を兼ねた素敵なバイトであった。他のガイドサイトをみて相場をみ、それより値段をだいぶさげた設定にした。それまで遊びにきていた日本人(社会人)の金使いをみて、「これは全く問題ないだろ〜」という値段だ。彼らが簡単に使うお金はおいらにとっては家賃並の値段であったので、いつも彼らが金を湯水のように使うのをみて「ニッポンジン、カネモチネ〜!」と何度思ったことか・・・。

まぁ、バレンシアに来る日本人なんてそうはいないでしょ〜とダメもとで、でも動かないよりマシでしょ〜と、ガイドのルートを考えたり、絶対初めての人じゃいけないような、または見つけられないような場所を発掘していった。それがBodega PascualなどのBodegaたちであり、El Palmarやら、ガイドには載っていない観光名所であった。

行く前やら、友達が遊びにくるときなどには「ホント地球の○き方はバレンシア少ないな〜!」と不満タラタラであったが、おいらがガイド業で身を立てれたのも、今日本に帰ってきてからも遊べる友達ができたのも、このサイトやっていて、しばしばメールで質問をもらえるのは、その紙面が少ないおかげといえるやもしれん。これがマドリッドバルセロナだったら、企業やら、バルセロナマドリッドを拠点にしている人間にはとてもじゃないけど勝てるわけないし初めての観光客でも短い旅行日程を余裕でカバーできるくらいの情報が地球の○き方にもある。

おいらにとっては、ビバ!バレンシアバレンシア様々なわけだ。

いや、まて。そんなことを買いたいわけではない。今日はねねちんとのメールでスペイン話をしてしまったため、煙草を吸ってはぼ〜っとスペインを想ひ、ぼ〜っとコーヒーを呑んではスペインを懐かしみ、ぼ〜っと電車に乗ってはスペインに涙し・・・だったから、ちょっとオセンチなんざんすね〜。

で、本題に戻そう。

先週、うちに東方三博士のバルタザールが遊びにきて、ちょっと早いがクリスマスプレゼント・・・いや、なぜか誕生日プレゼントをくれた。「遅くなったな・・・」と。

iPod(30G)だ。

あまりに高価な品物に目が点。「ええええ?なんで?なんなの?え?」と動揺しまくり。

いや、確かにかなり前の日記でiPod nanoにするべきか、コストパフォーマンスを重視してiPod(30Gb)にするか、思い切って60GBにするか、はたまた、意表ついてカエラちゃんがCMしているGigabeatにするかとかって書いたが、結局、金貯めないといかんし、IKEAいったら欲しい家具できちゃって当面の問題は部屋の模様替えってことになったり、洋服もすり切れてきてまともにきれるのなくなってきたし、メガネも"にゅう"みたいの入りまくりでどうしようもないし・・・と、貧乏性なおいらは、

「96MB(64MB+32MBの増設)のRio500でいいもん・・・これちょうど通石積み場の片道時間で一週してキリがいいし、単3電池だし、昔流行ったスケルトンだし・・・たとえこのご時世にMB単位のMP3プレイヤーもってなくたって、かれこれこれ7、8年使ってて愛着もあるんだもん、壊れてないもん、たとえ壊れてもスケルトンじゃないけど、なぜかもう一個あるもん」

と世間というものを知りつつある思春期の子供のように耐えてきたのだ。いや、正確には耐えてきたわけではない。いまあるモノでなんとかなる場合は、後回し後回しにしてしまう性格なので、実は「iPod欲しいな〜」とは想いながらも、なんとかなったのだ。あらぽんとは違うのだ。

そんなおいらの手に、おむすびころりんとiPod(30GB)が!!

これは進化とか変化とかではなく、もうエボリューションなわけだ。

いうたら、シュードラからバラ・・・いやクシャトリア・・・いや、この表現は辞めておこう・・・浪人から家老・・・なんかジジ臭い・・・・ファミコンからPS3・・・そのまんまやん・・・違う・・・まぁ、いい・・・96万パワーが3億パワーになったわけだ・・・悪魔将軍どころか、フェニックスや神もびっくりだ。

これがどれくらいすごいエボリューションかわからない人にはまったくわからないだろう。

これが徐々に大きくなっていっているなら、それは変化であり、ちょっとした進化程度でことは済むのだが、これはビックバン並の大変革なのだ。

具体的に数値を残しておこう。

前のRio500の場合、持ち運べる曲は平均して20曲。5MBくらい(5分くらいの曲)が20曲だ。この20曲というのは、石積み場までの片道でちょうど聞き終わるくらいの曲数だ。約1時間。で、帰りも当然聞くので、行きと帰りは同じ曲を聴くことになる。

人間こうなると必至になるわけだ。すぐ飽きるような曲はいれなくなる。別に転送が面倒なわけではないが、60分のカセットテープに1秒も無駄なく、完全に計算して、片面30分・・・実際には31、2分・・・これはまぁ諸刃の剣で、たまに計算あやまって最後の最後で数行切れるなんてことにもなるのだが・・・をいれるわけなので、時間がないと、なかなか曲を入れ替えないのだ。

ぴったり96MBに収まるように、自分の大好きな厳選した曲を20曲分詰めるのだ。

これは先ほどかいたスペイン貧乏時代に似ているのだ。

20eurosを机の上に置き、それを見つめつつ部屋をウロウロウロウロし、どうやって有意義に使おうか・・・そういうことに一日を費やすのだ。冗談じゃなくって、本気でだ。その20eurosで煙草を買い、食料品を買い、たまにはPijoにVinoを買い・・・そうやって過ごしていたのだ。

このRio500というものはその延長で、20曲に命を賭けているといっても過言ではない。

だから、iPodを手に直前まで聞いていた20曲は、もうつけいる隙がないほど完璧な20曲なのだ。まぁ、1曲分のスペースは、その時期時期ではまってる曲をいれたりするが、あとはもう動かない。不動だ。

ちなみに、おいらは石積み場にはいって一年が過ぎたが、半年以上前からその20曲は変わってない。本当に。

で、iPod30Gb。

いや、実際問題すごすぎる。何曲いれてもなくなる気配がしない。「何曲いれても」と書いたが、初日に通石積み場用の曲をエレヒールしたのだが、120曲で限界に達してしまった。

好きな曲は他にもたくさんあるのだが、石積み場に行く前というのは自分を鼓舞しないといけないため、寝ているムクのようにうっとりする曲をいれては、これから石積みに向かう自分への鼓舞BGMにならない。だから、選曲は主にラテン系のものが多くなる。スペイン系・・・フラメンコとか・・・セルジオ・メンデスなんかもとても良い。間違っても東川亜希子の曲をいれたりしてはいかん。日本人だったらくるりだな。くるり。Go Back to chinaあたりは最高だ。

Rio500の一つの不満であった20曲だとどうしてもまったり系をいれざるをえない(主に菅野よう子の曲。好きすぎるので外せないまったり系のやつ)状況も、iPodだとなんのその。菅野よう子の曲のなかから、ノリノリのだけいれて、まったり系は外せるという何とも贅沢な状況。

また20曲だとどうしてもいれることができなかった「すごい好きなんだけど、毎日はきかない・・・でも、たまに猛烈に聞きたくなる曲」をいれることができてしまうのだ。

今現時点で難なのは時間がなくて「para trabajo」(石積み用)のプレイリストフォルダしか作れていなく、行きも帰りも違う曲が聴けてウキウキなのだが、うっかり帰り道にも鼓舞されてしまって「おっしゃ〜呑むか〜!」って気分にさせられながら、とぼとぼ家に帰らなければいけないこと。はやく、「para volver」(帰る用)を作らなければ。あとは、para viaje(旅用)とかpara escapar(現実逃避用)とか作らなければ、身が持たない。

なにはともあれ、違う曲が日々楽しめるというのは大容量の強みということがよ〜くわかった。

あと、案の定というかなんというか、大容量なのはいいとしても30GBはやはり多い。120曲いれたのに、まだ1割も使ってないってのはどういうこと?気が遠くなる。いうたら、インフレ状態。ドラゴンボールでいうたら、戦闘値。きん肉万でいったら超人パワーみたいなもんだ。

20eurosでの生活になれていたおいらが、突然毎日300eurosくらい・・・いやもっとか・・・が財布が財布に入っているのである。そんな大金目にしたらどうしていいのかわからなくなる。

話は戻るが、もしおいらが留学前にちゃんと社会人をやっていて(まぁ、働いてはいたが自由になる金はなかったので貧乏だった)、がっつり稼いでいたところに、突然留学していたら、「金がどんどん減っていく」という状況に耐えられないどころか、貧乏ができなかったような気がする。贅沢な暮らしになれてしまったものは、なかなか生活ランクを戻すのは難しいのだ・・・たぶん・・・贅沢な暮らししたことないからわからんが、たぶんそう。

ビデオをいれたり写真をいれたりする手もあるが、いれたところでおいらがわざわざ友達に会うたびに「ねぇねぇ〜スペインの写真みる〜」とか「動画みる〜?」とかいうとも思えない。そんなもん結婚式の写真をみせるくらい、やっちゃいけないことのような気もする。ただ、おいら個人は旅好きなので、旅の写真をみるのは好きだが。

それを回避するために、よくアルバムを丸々iPodに詰め込んでいる人を見かけるが・・・というか、それが主流というか普通なんだろうけど・・・・それだとおいらには侘び寂びがなさ過ぎるのだ。「湯水のごとく金を使う日本人」になってしまったような気がするのだ。無駄はいくない。だって、アルバム一枚の中で好きな曲ってほんの数曲でしょ?菅野よう子のCDならいざしらず、おいらはそう。アルバム一枚の中で好きな曲一曲しかなくてもCDを買っていたPijoな時代もある。

だから、選曲は厳選したいのだが・・・それやってると30GBは埋まらない。別に埋めなくてもいいが、あれば埋めたくなるのが人の性。

おそらくもうおいらは20eurosの時代には戻れないだろう。贅沢を覚えたらもうだめな人間なのだ。たとえば「宝くじで3億あたったらいいな〜」とか今言ったとしても、実際あたったら3億でも足らなくなるに違いない。おいらはたぶんそういうタイプ。

実際、石積み始めてからは1000円の重みが違う。たとえば、パスネット。最初はすげ〜びくびくして買って、買った日には、マリちゃんとかママンとかに「5000円のパスネット初めて買ったよ!!」とか騒いでいたのに、今では5000円のパスネットを買うのは余裕綽々になってしまった。

たとえば、昼飯。できるだけできるだけおさえてうどんとコーヒー(510円とか650円とか)で済ませていたが、今ではランチのマックス金額が1000円になってしまった。たまに150円とかで追加できるサービスコーヒーとか頼んじゃったりしちゃった日にゃ〜1000円超える。昼飯にだ!昼飯なんぞ、60centimoでバゲット買ってきて切り裂いて、中に残りモンのハモンとか卵とか、前の日の夕食の残り詰め込んで食べてリャいいというのに、1000円も払ってるのだ。

これを退化といわずして、なんといおう!

そういうのを聞いて「なんかフェルミンらしくな〜い。金持ちにあわな〜い!」と悲しむ輩がいるが、まさにその通り。自分が一番悲しいのだが、いわれるともっと悲しくなる。しかし、現実は現実で、あきらかに1000円の重みが変わってしまった。

今、スペインにいったら、10euros越えのVinoを買ってしまいそう。まぁ、それはそれで、味をみるにはいいんだけど・・・そういった意味じゃなくって・・・なんというか・・・。

なんかスペイン思い出して懐かしみ、ウキウキしたのはいいが、いや〜なことに気づいてしまった。

金があるのはいい。とてもいい。でも、突然3歳児に1万円札とか持たせちゃいけないのだ。おいらに20euros以上もたせちゃいけないのだ。徐々に徐々にじゃないとダメなのだ・・・。

まぁ、どうしようもないんだけどね。

それにしても、今のご時世iPodでここまで騒いでるやついないんだろうな〜。

あらぽんあたりが「アナログ人間め・・・」と笑ってそうだ。


追記
なんか簡単に書くつもりが、しこたま書いてしまった。感情の溢るるままに・・・。最近、日記書く気なくなってたからちょうどいいちゃ〜ちょうどいい。

追記2
日記で思い出したが、結構存続の危機になっている。サーバーの容量が足りなくなってきている。あらぽんは「既存のブログを利用すればいい」とかいうが、おいらのこの日記はブログではないのだ。だから、既存のブログをオリジナルにしたくないのだ。ブログと呼ばれたくないのだ。こちとら、ブログなんて言葉がないころから日記かいとんじゃ。「ブログとか持ってる?」ときかれたら、おいらはかならず「うんにゃ」って答える。「日記書いてる?」っていわれたら「ししし、くらろ!」って答える。でも、これまで「日記書いてる?」と聞いてきた人は一度もいない。みな「ブログ」という。と、天の邪鬼なおいらではあるが、ブログの機能は便利なので支店として、ここの原稿コピペして載せてるんだけどね。でも、ブログじゃないの。オリジナルはブログじゃないの。日記なの。備忘録なの。

ってことで、ちゃんと計算してないが、来年あたりで日記を書き始めてかれこれ10年になると思う。初めて公開日記かいたのが1996年くらい?スペイン中はしばらく公開はしてないが、日記はかいている。まぁ、このあたりのことはいつか書きたい。高校生くらいまでさかのぼりそうだ。そろそろ史料編纂所を作らなくてはいけないかも。というか、手帳から始まり、メモ帳、日記帳、パソコンのテキスト、今の日記・・・どうやってまとめればいいんだろう・・・。考えるのは辞めよう。

あ、だから、存続の危機だ・・・そっちの方が当面の問題だ・・・レンタルサーバー借りるっていったら、あらぽんに「ナンセンスざんす」とかいわれたし。ホントにどうしよう。