焼き肉Fiesta en お茶の水

先月末、おぐりの誕生日があり、Fiestaをやろうということになった。おぐりといったら焼き肉。ってことで、焼き肉Fiesta。珍しく長尾が幹事。実際はお嬢が動いていたようだが・・・。

前に長尾といった彼オススメの渋谷の焼き肉屋だと思っていたら、なぜかお茶の水に。最近判明したのだが、どうやらおいらは電車に乗って都心に行くのがキライらしい。正確には、「人混みの多い場所」に行くのが、とても億劫な体になってしまった。もちろん、気のおけない友達とのFiestaなので、そのFiesta自体には心から参加したいとおもっているのだが・・・つい「なぜ、電車に乗ってまで人が多い場所に行かねばならぬのだ・・・」と思ってしまうのだ。逆に電車、または車に乗って「人の少ない場所」に行くのは好きだったりする。これって東京近郊に住んでいる人間特有の憂鬱さなんだろうか?ちなみに「人混みの多い場所」に行くんでも、「歩いて」だったらなぜか問題なかったりする。自分でも不思議だ。

今回の会場となったのは、お茶の水の「マルタケ」という焼き肉屋。おいしいと評判のお店らしい。ただ、「おいしいと評判」な店で、七輪(炭火)ではなくって、ガスを使っているお店って初めて。実際、肉はどれも手頃な値段で、とてもおいしかったのだが、なんとな〜く炭火が良かった。もったいない気がする。

書き忘れたが、メンバーは長尾、お嬢、むん、おぐり、おいらの5人。5人中4人が就職活動中(または再就職活動したい)というダメ人間の集まり。ダメ人間ならではの話で盛り上がるも、土曜日は9時半くらいまでらしく、早々と店を追い出された。

2次会は賽の河原での石積み時代、たまに行った沖縄料理屋「かもん」(同じくお茶の水)。当然、白百合ばかり呑んでいた。

2次会では「メガネ」をテーマに話に花が咲く。映画より、酒より、メガネが重要という説を皆に説得するのにかなりの時間がかかった。2時間以上話したが、「話肇の頃よりは・・・」という程度で、最終的には理解できなかったようだ。あとは、女の子の「愚痴」と「相談」の違いについても盛り上がる。おかむんは「愚痴」聞きのエキスパートで、おぐり、お嬢からも定評があるのだが、相談はされたことはあまりないらしい。長尾は「愚痴」面倒くさいからイヤらしい。「相談」専門で、常に相手を支配できる「一言」を狙ってるらしい。コレには笑った。おいらは、愚痴と相談の区別が最近まではつかず、愚痴を話している人間以上に話をして、解決策授けてしまうタイプだったのだが、何がきっかけかはいくら考えても不明なのだが「愚痴」が聞けるようになった。しかも、「あ、これは愚痴だ・・・」、「あ、これは相談だ・・・」というのもわかってきた。両者は話しの手法が大きく違うことがわかったからだ。いまんところ、その識別方法は100%当たっている。だいぶ成長したという自負はあるのだが、問、電話は相変わらずキライなので、電話での愚痴にはまだ対応できない。酒呑みながらじゃないとダメらしい。

11時半頃解散。帰って映画を見る。

【La Flor De Mi Secreto】(私の秘密の花)

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【点数】3.7点(5点満点) 【スペイン語のわかりやすさ】6(最高10)

【制作年】1996年 【制作国】スペイン=フランス 【監督】ペドロ・アルモドバル 【公式サイト】なし
【キャスト】マリサ・パレデス、ファン・エチャノベ 、カルメン・エリアス、ロッシ・デ・パルマ、チェス・ランプレアヴェ



【感想】
アルモドバルの映画はそこそこ見ているのだが、未見だった映画。時期的にはKIKA(1993)とライブ・フレッシュ(1997)の間にあたる。オール・アバウト・マイ・マザー(1999)の2本前ということだ。ライブ・フレッシュもまだ見てないや。

映画の中には、かなりえぐい恋愛の終わり方・・・いうたら一方的なふられ方をしないと理解できないような映画が結構多くある。出来れば理解できるようになりたくはないが、理解できるようにならないと人としての深みがでないといわれてる・・・かなり重度のジレンマを有する経験だ。

この映画もそんな映画の一つ。なので、ストーリーとしてはありがちな話。とある有名作家が、自分はとても愛している夫との関係が終わってしまうが、経験豊富な母親の一言で、徐々に立ち直っていくみたいな感じ。もうちょっといろいろあるのだが。

おいらは自分がスペイン映画贔屓なのを理解しているし、スペイン映画だったらほぼ無条件に薦めてしまう恐れがあるのだが、この映画に関しては何がどう良かったのか説明が難しい。面白くないのではない。面白かったのだ。だけど、それを説明するには中学校の先生が生徒に「大人になればわかる」というような感じで「スペインで生活してみてよ。わかるから・・・」と、一番言いたくないアホな台詞を吐かなければいけなくなりそうなのだ。

この映画・・・なんかすべてがスペイン的なのだ。自分で書いてて「なんじゃそりゃ」といいたくなるが、見てるとどうしてもスペインに行きたくなってしまう映画。ストーリーはほとんど関係ない。風景やら登場人物、そしてそのシチュエーションを見てそう感じてしまう。

バルに行きたくなるし、あんな家族の中に混じって会話したくなるし、ママンの作ったトルティージャが食べたくなるし、カラマレス・フリートをお土産に持って帰りたくなるし、あんな田舎でおばあちゃんたちに囲まれて歌を歌いたくなるのだ。

映画ってあくまでフィクションなのに、あまりにリアリティーがありすぎる。言い過ぎ覚悟でいうと、「スペイン人ってこの映画みたいな感じ」です。スペイン人がこういう失恋をしたら、実際ああいう風に解決するんだろうと、心からそう思う。彼女の友達との件も、実際あんな感じだと思う。そして、極めつけは主人公の母親。この映画ではアルモドバルの映画の常連であるチェス・ランプレアヴェがその役をやっているのだが・・・・素敵過ぎる。やっぱ大好きだ。あのば〜ちゃん。台詞が素敵なのもあるが、おいらはああいうスペインのママやば〜ちゃんをよく知っている。個人的には彼女とその娘(主人公の妹)との会話、そして彼女たちと主人公との家でのやりとりをみるだけでも価値があるように思われる。恋愛ストーリーの部分はおいといて。

ストーリーに関する部分でも、最後のシーンは「レオ・・・あんたかっこいいよ・・・かっこよすぎるよ!」って鳥肌がたった。あの最後の表情はすばらしい。惜しむらくは、最後の最後のあのシーンはかなりいらなかった気がする。扉を閉めながらの、あのレオの表情で終われば、おいらとしてはかなり花丸であったのに・・・。

ということで、この映画はアルモドバルの、ある意味マニアックな映画を期待してみたら外すと思うが、スペインにいたことのある人だったら楽しめる様な気がする。ストーリー重視だとしても、同じような話の中では楽しめるると思う。レオのあのめまぐるしく変わる感情の起伏や奇怪な行動も、全く持って日本的ではないが、誰しもが持っているもんだと思うし、経験のある人なら、たぶん理解できるかと。たまに「怖わいよぉ〜」ってなるけど。

そういえば、映画のタイトルである「私の秘密の花」。これは原題の直訳なのだが・・・なんでそういうタイトルがついてるのか、未だにわからない。

追記
スペインでどこかの家族の家に遊びにいくと、この映画のように必ずといっていいほど、「持って行け」攻撃を受ける。仮に断ったとしても、めげずに次から次へと・・・最終的には大量の手みやげ(主に食べ物(食材、料理ともに))を持って帰ることになる。あとついでに書いておくと、スペイン人のおばちゃんたちの話す速度と量は日本とは桁違いである。映画は極端な話ではなく、現実である。