正義とオフィスラブ

オフィスラブ・・・う〜ん、なんてチープで素敵な響きなんだ・・・。バベルの塔があるビルにはいったい何組のオフィスラブがいるんだろう。「オフィスラブ」か〜もう、どの角度から見ても和製英語だな。チープで素敵だ・・・。

そのこと書く前に・・・。

今日はなんか蒸し風呂みたいな一日であった。久しぶりの石積み期間が梅雨の時期になってしまったのは完全に失敗だ。やる気がなくなる。

今日も通石積み時間が余ったので、人間観察して過ごす。

エレベータ街をしていた女性。ヒールが恐ろしく高く、ヒョウ柄を来ていた。バベルの塔ビルヂングには似つかわしくない感じだったので、興味が出て1階にある「各階の会社一覧」をみてみたが、結局どれがそうなのかわからなかった。私服がそうなのだろうか?

女性の数がやたらと多いことは先日書いたが、改めてみてもやっぱり多い。そして、自分も含めて、似たり寄ったりな格好をしている男性とは違って、女性の服のなんとまぁ〜多様なことか・・・。隙だらけのおいらからしたら、隙がなさ過ぎるほど完璧な格好だ。きっと朝から「これでもない・・・あれでもない・・・」と服を選んででてきているのだろう。そうじゃない人もいそうだが。

で、思ったのは、やっぱり人間、自分の雰囲気に合った服装を選ぶようで、服を見てから顔をを見ると「あ〜〜なるほど〜」と頷けることが多い。たまに「はうっ!」ってなることもあるにはあるが、だいたいにおいて納得できる。みな、自分をつかんでいるってことなのだろう。すごいすごい。日本にはものすごい数の女性雑誌・・・しかも服の本・・・が存在するが、それにたいしても納得がいった。高校時代からの服を未だに着ているおいらには、どうでもいい話なのだが・・・。

前々からマリカルメンから「昼飯を一緒に食べよう」と誘われていたのだが、一週目はノルマルに過ごして様子をみたかったのでずっと断っていた。イレギュラーを入れると生活のリズムがつかみづらいから。が、1週間経って、なんとなくつかめたような気がしたので、今日一緒に昼飯を食べることにした。バビロニアまで電車ででてきてくれるというので・・・。

久しぶりの会話のある昼休みであったということもあるが、いや〜なんか妙にドキドキしたさ。相手がどうこうということではなく、たった一時間の昼休みをわざわざ待ち合わせて昼飯を食べる・・・というシチュエーションに。

そのドキドキ感が、石積み場の誰かに見られても全くもって困ることのない現実を、誰かに見られたら困る(困りたい)・・・という仮想にさせた。

も、もしや・・・オフィスラブってこんなんではないのか?

ノンストップ、ヨモツシコメ。妄想はじまる。

世のオフィスラブ者の人たちは、毎日こんな体験をしているのだろうか?いや、リアルだったら、ドキドキどころか、ビクビクなのかもしれない。けど、そのビクビクが案外楽しかったりするのかもしれない。

わざと時間ずらして一緒に返ったりするのかね〜。

「例の場所」を示す合図なんかあったりするのかね〜

気づかないうちに誰かに見られてしまって、給湯室とかでこっそり噂されてたりするのかね〜。

ばったり会社の人間にあってしまって「か、彼女とたまたまそこで会ってね・・・」なんていいわけしちゃったりするのかね〜。

なんか、ベタベタやん・・・。

それなりに楽しそうだが、やっぱ面倒くさいや。

皆でぐい〜〜〜っと呑んで、わ〜〜〜っと走って、おえ〜〜〜〜っってボミって・・・って方が楽でいいや。

いや、まて・・・それがもし不義だったら?ビクビクどころじゃないな。ヒリヒリだな・・・。でも、そこまで妄想できんや・・・。インディアンウソツカナイ。


都合により今日は世間一般の昼飯時間の12時くらいに飯を食べにいったのだが、もう最悪だ・・・今日はもうどこの店にも「入れない」、「入りたくない」くらい混んでいた。「行列ができる店」がいっぱいだ。味に関係なく。コンビニで弁当買ってその辺で食べてもよかったが、あいにくの雨。バビロニアのオフィス街はタバコを吸えない店が多すぎるし・・・。明日からはまたドトールだな。でも、週に一回くらいだったら、ちゃんとした店で食べるのもいいかもしれない。会話もあるし。

会話といえば、今日はいろいろ会話をしてみた。変に策を弄してもあまり意味がないことが判明したから。様子をみて、話しかけれそうなタイミングで、石積み場のこととか聞いてみた。周辺の状況とか。

話しかけたのは、おいらの部署の男性社員。たぶんおいらより年下だが、5年くらい、バベルの塔で石積んでいるだ。以前に石積み場では、最悪な時には残業200時間とかがあったとか。物理的に200時間って可能なのか?と思ったが、土日も出勤していたらしい。せっかくだからあだ名をつけておこう。まだあまり知らないのだが・・・「カワンチャ」に決定。

忘れないようにしないと・・・。上司は、いづれ機会があればつけよう。


今日の石積みでは、面白い体験をした。

デザインなんかをやるソフト・・・おいらの場合、主にPhotoshopやらIllustratorとかサイトを作るオーサリングソフトなんかになるのだが・・・には「ライセンス」というものが存在する。ライセンスの数はソフトにもよるのだが、普通は「一製品一つ」という感じである。簡単にいってしまえば、お金を出してそのソフトを買っても、一台のPCにしかそのソフトをいれてはいけないというものだ。高いソフトなどは、シリアル番号などがあってそれをいれないとインストールができないし、仮にコピーしたものを手にいれても、このシリアルがないとどうしようもないというわけだ。ただ、世の中にはいろんなものがあって、探すところを探せばそのシリアルが見つかったりする。まぁ、その辺のことは今回は関係ない。

パッケージと一緒に入っている利用許諾書なるものには、かならず「1つのCPU(パソコンのことと思っていい)に対してだけライセンスを認める」というような項目があるのだが、一つ買ってしまえば、物理的には何台ものPCにインストールできてしまう。ライセンスも同じものをいれれば動いてしまう。
(※最近のソフトはネットにつなげてライセンスを常時確認したりなどコピー防止を強化しているものもあるが、それをかいくぐる知識のある人間もたくさんおり、いたちごっこになっている)

で、何がいいたいかというと、最初に書いたライセンスの大原則というのは、その人の心持ちによっては簡単に破られてしまうものなのだ。もし厳密に守ろうとすると、10台パソコンがあったら、10個同じ製品を買わなくてはいけないが、守らなければ1個買っただけで10台をまかなえてしまう。そんな極端な世界なのだ。

具体的な数値でいうと、現時点での最新バーションでいえばPhotoshopは定価で10万円、Illustratorなら8万4千円。セットで買うと割引があるが、まぁ20万近くする。それを10台分買うとなると200万。がワンセットですませるとなると20万で済む。

で・・・大きい声でいってしまっていいのかわからないが、おいらがこれまで石を積んでいた石積み場では、そんな大原則なぞどこ吹く風であった。そして、それが世の中の「暗黙の了解」なのかと勝手に思っていた。都合のいい解釈だが、メーカー側もそんな「暗黙の了解」を考慮にいれて、開発し、値段を設定しているものだとばかり思っていた。彼らが駆逐したいのは「違法コピー」の方がメインなのだと・・・。

そして、今日の出来事。

お「すいませ〜ん・・・今回の変更で新しい項目ができて、その画像を作らないといけないんですけど、同じフォント(デザイン文字みたいなもん)がないんですけど、どうしましょ?とりあえず似ているゴシックフォントはあるんですけど、他の項目が10個もあるから、ちょっと違うだけで目立つと思うんですよね〜」

上「そっか〜どうしようかな〜。カワンチャく〜ん、前のデザインやってた人のPCにフォントって何かいれたっけ?」

カ「フォント・・・あ〜なんか入れた気もします。あ〜ありました、ありました・・・たぶんこれです。」

ダイナフォント100書体のCDがロッカーから出され手渡される

カ「その中にありそうですか?」
お「たぶんあります。そんなたいしたフォントじゃないですし。」
カ「で、どうしましょうかねぇ〜」
お「え?インストールしていいですよね?」
上「いや・・・それフリーなの?」
お「え?フリー・・・じゃないですかね?」
カ「でも、12800円という値段が・・・」
お「・・・ん?フォントも1台一つなんですか?このダイナフォントで?」
上「甘い、甘い・・・たぶんそうだよ・・・利用許諾書があるはずだから・・・」

利用許諾書を探して読むと、確かに「1CPUに対して1つのライセンス」と書かれていた。

上「これからも使うよな〜。買うってもんか・・・」
お「え、いや・・・たった数文字だけなんで、もしそんなに大変なら、似ているフォントでごまかしますよ。もしかして目立つかもしれませんが・・・」
上「でも、今後も使うかもしれないし・・・他に欲しいものとかある?」
お「あるにはありますが、今後どんな石積みするかにもよりますね〜。とりあえず、PhotoshopIllustratorがあれば助かりますが・・・」
上「申請するときに、まとめて出すからさ〜。20万ってことは普通に買えば14万くらいか・・・」
お「いま、うちにはないんですか?」
上「最新のやつあるけど、たいして使いもしないのにあっちの会社(身内の会社)がいれちゃってるんだよね〜。もしそれいれるなら、あっちのやつ消さないといけないんだけど、それも面倒だし、そのせいでいろいろ要求されても困るしね〜」
お「そ、そうなんですか・・・いろいろ大変なんですね・・・でも、わざわざ買わなくてもいいですよ・・・」

おいら一人のために(もちろん後々も使えるが)20万の買い物をすると聞いて、ビクビクし始める。

上「ま、それは何とかするとして、とりあえず、フォントの件か・・・」
お「え、ええ・・・」
上「たしか隣の部署のPCに入ってるはずだから、そこでちゃちゃっとできる?」
お「ええ。たかだか数文字ですし・・・たいした作業ではないので・・・10分もあれば。」
上「じゃ〜カワンチャ君・・・PC使えるように頼んできてくれる?その前に、まず空いてるか確かめて」
カ「もう確認してきました。使えますよ」
上「じゃ、あっちの部署のPCで作ってくれる?」

たった8文字の文字を打つために、隣の部署に移る。そのPCのある席は、すでにやめていったデザイナー(?)の席で、今は誰も使ってないいらしく、椅子もなかった。なので、中腰のままで作業する。中腰での作業は思ったよりも面倒で20分くらいかかったが、画像を作り終え自分の席に戻る。

おいらの上司・・・というか、バベルの塔の言ってることは何も間違っちゃいない。間違ってないどころか、絶対的に正しい。どこからどうみても正しい。

正しいんだけど・・・正しいんだけど・・・・正しいよね。うん。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」でいくか、「赤信号をみんなで渡っているのを見て、『おまえら赤信号だぞ!』と注意する」でいくか・・・。

映画「セルピコ」を思い出す。

あちらは賭博犯罪を警察が賄賂で見過ごすというシステムに対してセルピコ(アルパチーノ)が正義を貫き糾弾する・・・というストーリ。史実を元にした映画。

賄賂を全く受け取らないセルピコを、他の警察官たちはビビりつつも、憎んでいく。「みなやってるじゃないか!」、「賭博行為は犯罪ではあるが重犯罪ではない!」、「退職金だと思えばいい」、「オレだって悪いことをしているとは思っているが・・・そんなこといいったら、皆になんていわれるか」・・・理由はそれぞれだ。

その映画をみながら、おいらは確実にセルピコにはなれない・・・と思った。無理。賄賂を受け取らないくらいの侠気はみせれるだろうが、それを糾弾するなんて無理。ものすごい嫌われ方だもん。多勢に無勢。いったいセルピコになれる人間が世の中にどれだけいるというのだ!いないから映画になったといってしまってもいいだろう。

そう思ってたのに、バベルの塔には「セルピコ」がいっぱい。すごいよ。

もしかしたら、おいらが知らないだけで、世の大きな石積み場って、みんなバベルの塔みたいな感じなのかもしれない。あらぽんとかにきいたら「そんなの普通だよ」と冷たくあしらわれそうだ。

「正義」ってすごいけど、面倒くさくもある。

願わくは、Photoshopやillastratorなんてまず使わないだろうと思われる上司とカワンチャ君の自宅のPCには、二つのソフトが両方とも入ってますように・・・。