文鎮呑み

「漢の第六感」とでもいいましょうか、シックスセンスとでもいいましょうか、はたまたこれまでの経験で培った技とでもいいましょうか・・・なにやら危険な匂いがプンプンとしてきている。

スペインに行ったあたりから侵攻をはじめていたのだが、ここに来て漢の呑み友達が激減してきている。最悪絶滅の危機に瀕しそうな気がしてきている。まぁ、理由はいたって簡単。「結婚」だ。

女の子が結婚してなかなかでてこれなくなるのはOKとして、漢がそうなるとはあまり考えてもみなかった。最初に来たのが康雄。前よりも明らかに遊べなくなってきている。で、ここにきてのび〜が嫁ぎ、吉野も嫁ぐ・・・吉野のところは嫁が嫁なので、うまくいけば、終電逃した時に泊まりに行ける梁山泊となりうる可能性もあるのだが、続いてこれまでおいら以上に自由気ままに生きてきた「むん」がSentar Cabeza
(最近覚えた熟語。「根を張る」的な意味。「落ち着く」とか。辞書には「分別をつける」と出ているが、もう少し俗っぽい感じがする。ネストルの笑い方だと。それと対局にあるのがPendonear。辞書で調べてこの単語ほどおいらにぴったりの動詞もないとちょっとした感動さえ覚えた。GolfoよりもPendonの方がしっくり来るようなきもするけど、辞書を信じると痛い目にあうから、多用は控えよう)したため、今後は以前よりも呑めなくなる。バルデミよりも古くなると、長尾やあらぽんだが、この二人はおいら同様「結婚」からはほど遠いところにいそうだが(実際はいるのかもしれないが)、石積みが忙しすぎるようで、ほとんど会えなくなってきている。長尾にいたっては、ほぼ毎日呑んでいた(または遊んでいた)時期もあるだけに、何とも寂しい。

おいらも以前と違って石積み人の端くれなので、それほど多く必要なわけではない。「呑みたくなった時に、呼べば呑んでくれる漢」が2、3人いてくれれば満足なのだが、それが危なくなってきている。

「なんとかせんと・・・またスペインの時みたいに発狂する・・・」本気で考える。「転ばぬ先の杖」だ。そして、白羽の矢を立てたのがスナフキン

少々、その歴史を書き残しておこう。

大学院に入り、モラトリアムがさらに延長された2000年。スペインに行く2年前のことだ。旅の情報が欲しかったのもあるが、当時作っていた旅行記+日記サイトの宣伝をするために「たびっこメーリングリスト」(たしかそんな名前)に登録した。

旅のベテランがいっぱいいるMLで、宣伝どころか、さまざまな旅の情報が手に入った。MLなのでいろんな人が「○○への同行者求む」とか「××に行ってきました。□□でとても良いところでした」などというメールが毎日大量に届いた。その数の多さに一時期発狂しそうになったが、一応一通り目を通していた。

旅先は国内、外国と様々なのだが、そんなメールに紛れて「一緒にハイキングいきませんか?」というメールが届く。

「ハ、ハイキング???」

「散歩」という表現は使うが「ハイキング」という単語は当時のおいらは使わない単語であった。

「ハイキングか・・・つまり、散歩だよな・・・山とかかな?森とかかな?ハイキングか・・・旅だとおいらの趣味が趣味だから絶対人とは合わないけど、ハイキングだったら問題なさそうだ・・・そろそろ自分で企画する旅にもつかれてきたし、他人の企画に便乗して、おんぶにだっこでいくってのもいいかも・・・」

そう考えて、当時はおそらく本名だったと思うが、番長宛に返事する。「ハイキング行きたいです」と。

その後、とんとん拍子に話は進み、参加者も二人増えた。ケニー(男。同じく当時は本名だったと思われる)と女の子が一人の計4人。場所はどういういきさつだったか忘れたが、おいらの得意な鎌倉に決まった。

ホントたまたま集まった4人だったが、あっという間に意気投合し、その4人でハイキンググループを作ることとなった。あくまで「ハイキング」が目的のグループだ。

ハイキングから戻ってMLに早速感想を書き込むと、さらに数人「参加したい」という人が増えた。たしか、にょろと板さんと源ちゃんだった気がする・・・あと他にもいた気がするけど忘れてしまった。

グループ名は「どこからきたの〜」「あっちさ」「どこへいくの〜?」「こっちさ」なところが素敵なスナフキンから名前をもらって「スナフキンズ」と命名。当時23歳くらいだったおいらが一番年下だったのだが、どうもおいらは敬語が苦手(丁寧語で話していると仲良くなれない気がしてしまう)なため、勝手にあだ名をつけはじめたのがきっかけで、その習慣で入った人には必ずその日にあだ名をつけることになった。命名者は・・・だいたいおいらだったのだが・・・。

最初のころは人数を増やすために、エキサイトとかの掲示板を利用したり、当時つきあっていた彼女を誘ってみたり、暇そうにしていた「むん」を誘ってみたり・・・とそこそこ人集めに苦労していたのだが、活動の写真なんかを載せたサイトを作ったあたりから、一気に人が増え始め、一番多いときで30人くらいの大所帯になってしまう。そこまで増える前にもいろいろあり、「ハイキング」というよりは「小旅行」サークルへと形を変えていった。ほとんどモーニング娘。状態で、「第何期生」という表現を使わないと、いつの時代からいるのかわからなくなってきてもいた。

10人前後の頃は企画もラクチンだったのだが、人数が多くなりすぎると、まさに大学のサークルみたいになってきた小回りがきかなくなった。旅の企画も難しくなってきて、なんとな〜く呑みサークル(オールラウンドってやつなのか?)的な要素が強くもなり、そのあたりから昔からいた重鎮たちが徐々に参加が減ってきた。平均年齢が若くなってきしまったのもある。初期は30以上の人が多かったから、なんか落ち着いた雰囲気さえ漂っていたのだが・・・。

出会い系サークルみたい感じをイメージしたのかストーカーみたいなのもでてくるようになったし、なんか勝手に男女のドロドロをつくって消えていったメンバーもいた。まぁ、その辺はその手のグループでは避けては通れない部分なんだろうが・・・。

そのあたりからおいらも徐々に心が離れて居ていき、重鎮を「文鎮」と呼んだ「文鎮呑み」を裏で画策するようになる。独特のカリスマがある番長となんとなく別れがたかったからだ。それにおいらよりも年上のメンバーは、なんとも経験値が高く、話をしているだけでも十分に面白かった。それぞれ得意ジャンルがあるので、一度の呑みでいろいろな話が聞けたのも大きかった。

そうこうしているうちに、おいらはスペインにひきこもることが決まり、スナフキンズから離れることになる。スペインに行ってからも1年か1年半くらいはMLを読んでいたが、番長が海外青年協力隊でマレーシアに行くという話がでたあたりで、おいらは正式にMLから退会。退会はしたが、帰国したときは文鎮を誘って呑みにいったりもしていた。

現在スナフキンズは、自然淘汰され良い感じのメンバーだけが残る感じで細々と生き残っているということは「むん」から聞いていたが、最近番長がマレーシアから帰ってきたという話を聞き、それをきっかけに数年ぶりに「文鎮呑み」を企画することにした。漢もいっぱいいるし。

すでにスナフキンズとはほとんど連絡はとっていないネモモ(女)と源ちゃん(漢)もコレを機に誘ってみたが、ネモモは結婚して妊婦さんになっており、源ちゃんも意表ついて結婚していた。谷村有美は諦めたらしい・・・(笑)すんごいおっかけだったからな〜。

ってことで、番長、ケニー、板さん、むん、ネモモ、源ちゃん、にょろ、アラレねえさん、閣下、あぐらん、せんちゃんに連絡を取り9月の頭に呑むことした。

数年ぶりとはいえ、このあたりのメンバーはかなり濃く遊んだメンバーばかりなので、おいらの救世主となってくれるかもしれない・・・。