人に歴史あり(前編)

diario/a;(形) 毎日の、日々の、日常の (名) 1.新聞 2.日記、日誌、日記帳、メモ用手帳 3.ニュース、報道
de diario:(副)普段着の、日常の

なんかわざわざ各単語でも無いけど、今日は特にネタらしいネタもないので、おいらと日記について書き残しておく。昨日、たまたまスペインの日記帳を見つけたもんで・・・。

a ver・・・。

1992年〜(高校編)
16歳の誕生日にシステム手帳をもらった。黒のそこそこ重厚なヤツ。高校生のプレゼントだから5000円もしないもんだと思うが、そんなもんそれまで持ったことがないのでちょっと興奮した。なんかオトナ!って感じで。

至ってシンプルな手帳で、最初の数ページは格子状(?)に線が引かれた普通のカレンダー。スケジュール用のシールも一緒にもらったので、頑張ってそこに貼ってはいたが、高校生なんぞ予定らしい予定なんぞない。せいぜい「テスト」とか「映画」とか「○○の誕生日」とか・・・もう隙間空きまくり。

せっかくもらったし、使わないのもなんなので、未来のことを書き込むスケジュールではなく、その日にあったことをその小さい隙間に埋め込んでいった。「公園行った」とか「買い物した」とか「○○にあった」とか。

おかげで、あっという間にカレンダーは真っ黒になった。そして、書き始めたら縦横2cmあるかないかのスペースじゃ足りなくなってきた。当然だ。人間いきてりゃ、それなりにいろいろある。

思い立ったようにシステム手帳の滅多に開かないページを開く。縦2cm×横6cmくらいの、1ページが一週間分のページ。その日から、使い分けがはじまった。カレンダーの方にはメインというか、重要な出来事だけを書き、「一週間ページ」には、少し文章で3行くらいで書き込むようになる。

しかし、今度もまた不満がでてくる。「このスペースでもたらん!」。文字は自然と小さくなっていき、米粒にくらいのサイズでぎっしり・・・もう蟻が這ってるみたいな感じで書き込むようになった。

この時点で日記帳に書くようになってもよさそうだが、「時と場所を選ばない」、「いつでも持ち歩いている」、「スペースは確かになりないが、日記帳ほどのスペースはおそらくいらない」ということもあり、日記帳には移らなかった。

それが高校3年間丸々続いた。大学受験が終わるまで。

そのシステム手帳はまだ手元にあり、今も写真にとって載せようとも思ったが、かなり奥深くに封印されているパンドラの箱の中なのでやめておく。空けたら、もう、部屋の中がエライことになりそうだから。散らかるというわけではなく、なんか108くらいの煩悩が飛び出してきて、部屋が鬱蒼としそうだから。

1995年〜(浪人編)
浪人を始めたばかりのころは、そのミニ日記は続いていたのだが、生活が単調になり、また書くこともなくなり、でもって、マジで勉強し始めたため、3ヶ月も経つとシステム手帳を開かなくなった。9ヶ月ほどだろうか・・・空位時代だ。

1996年〜(学生編)
大学になると旅にはまる。大いにはまる。金はすべて旅につぎこんだ。つぎこみまくった。夏と春の二回はかならず異国にいった。夏はさらに国内も回った。海外は一ヶ月が目安。国内は10日〜2週間が目安。

最初にいったのはエジプトとギリシャだった。ただ、これは10日くらいと短い。まぁ、いろいろあって。まだ日記ははじまってない。メモ程度で。

大学一年目の春休みにいったのがスペインだった。1997年3月2日から40日間。フィンエアだったから、ヘルシンキフィンランド)もオマケについてきた。スーパーで水のペットボトルを落として、スーパーでエライ剣幕で怒られた。その辺のオヤジに。クリーニング代渡したら、笑顔で帰って行ったが・・・いまでもこのエピソードは思い出す。ホント何いってるかわからなかったから・・・。英語を話せるスーパーの店員さんが、ものすごい同情してくれた。というか、彼が通訳してくれなかったら、本当になにいってるかわからなかった。

うぬっ・・・話がとんだ・・・けど、そのネタも日記に書いてある。4月4日(金) 雪・・・だそうだ。

ちなみに、この旅でスペインにはまり、現在に至っていることは言うまでもない。

というわけで、日記再開。高校〜浪人までのは日記とは呼べないので、おいらの日記は1997年3月2日 21:29からはじまったことになる。もう10年たつのか・・・うぬ〜。

よくよく考えたら旅のあとは書いてないので、はじまったようではじまってないや。旅の時だけ書く「旅行記」だな。

スペインのあとはフランスにいった。これも一ヶ月ほど。この時も日記を書いた。スペイン同様毎日だ。

で、ここで転機が来るんだ。バイトの関係でMacマッキントッシュ)を購入(パソコン自体はもっていた。こうみえて結構長い。中学2年生からだから・・・)。そのMacにバンドル(付属)されていたクラリス・ホームページというのがあり、なんとなくいじってたらホームページが作りたくなった。当然、ネタは旅行記だ。

ヘボいなりに、がんばってホームページを完成させ、旅行記をアップし始めた。ただ、思ったよりも書き起こすのが面倒で、日記帳では当然書き終わっているのだが、ホームページ上ではほっぽりだしたまんまで終わっていた。その間も旅は続いていたので、書いても書いてもおっつかなく、もう完全になげやり状態。

今では手書きよりも、打つ方が楽なのだが、当時は文字を書く方が楽だったため、そちらはきちんと書き終えてたりする。文字はおいら以外判読できないやつもあるのだが・・・。

最終的に、現在、紙媒体の旅行記として残っているのは、スペイン、フランス、イタリア、アメリカ、パキスタンカンボジア、オーストラリア(これは微妙)あたりになる・・・っぽい。まだあったような気もしなくもない。

1999年(学生編2)
上にも書いたとおり、ホームページ上での旅行記アップがかなり滞りがちだったたのと、なんか更新しないと・・・という熱き思いがあり、普段の日記を書き始める。これは紙上ではなく、ホームページ上で。

最初に書いたのが1999年5月13日(木)。なぜか、土方歳三榎本武揚について書いてる・・・。ママンがテレホンカードをくれたからだ。

当時の日記の特徴としては・・・

今と違って圧倒的に短い。20行〜30行くらい。たまに、勢いがあってえらい長いのもあるが、今ほどひどくない。淡泊な日記だ。

「誰かに読んでもらうこと」を前提に、また「読んでもらいたくて」書いている。もうホームページにはまりまくっていた時代だったから。あらぽんが冷ややかな口調で「まぁ〜よく頑張るね〜」ってバーミヤンかなんかでおいらにそういったことを今でも覚えている。毎日なんかネタや企画を考えていた気がする。

また、今よりもしっかり毎日書いている。たまに抜けるときがあるが、今ほどひどくない。システム的には今の方が書くのは断然楽なのに・・・信じられないエネルギーだ。当時は、ブログとか、このCGIの日記みたいに、日記を書くようにレイアウトされていないから、テンプレートを作ったとしても、日付から、画像添付から、時間から、なにからなにまで全部を作らないといけない。だから、日付や曜日を間違えることもあった。一番面倒なのが、その日記へのリンクをはらなくてはいけないことだった。データベースを自分で手作業でつくらないといけないのだ。過去のバックナンバーなんかも、自動でなんかやってくれない。自分で、3月って書いて、そこにファイル名をバックナンバー用に変えたものをリンクさせて・・・ってやる。読みやすさとか、日記の探しやすさ(検索機能など)とかは最悪だが、手作り感一杯だった気がする。今見ると恥ずかしいけど、あまりかわってないといえばかわってない。

しばらくして、旅行記は封鎖した。日記を公開してることに倒し、気負いとか恥ずかしさとか、お客集めへの疲れとか、もっと個人的などうでもいいことを書き残したいとか・・・そういう風に思ったからだ。端的にいえば、他人のために書きたくなくなった。自分のために書きたくなった。ってことだな。

そこまでいくのに2年くらいかかった。2001年3月6日のこと。

旅行記サイトはなくなったが、日記は書き続けた。不特定多数の他人のためには書きたくなくなったといっても、ホームページとして書いている以上、ある程度のモチベーションは必要だった。そんな簡単に割り切れない。

ということで、線引きすることにした。友人限定サイトの登場だ。宣伝もなにもしない。が、ネット上においている以上は、検索されて見つかることもある。だけど、それはOK。見つかったとしても、お構いなしで内輪ネタで書く。KとかNとかイニシャルではなく、実名、または普段使ってるあだ名で書くようになったのも、このへんから。

気分はかなり楽になった。そして、日記を書くことが、本来の意味の楽しさを持ち始めた。


って、長くなりそうだから、今日は予定を変更して前編にして、後編は明日書く。もうほとんど書くことない気もするが・・・。

追記
調練についても書きたいことがあったのだが、次にする。