NintendoDS

ardilla:(名) リス

日曜日。天気もいい。

ってことで、小動物に心を癒されに行くべく、「Requenaリス園」に行く。かつて2度ほどいってことがある。かなり小規模なのだが、リスを餌付けできるということもあり、結構楽しめる。鎌倉とかでたまにリスを見つけるが、警戒されまくってあまり間近でみることができないが、ここならかなりの至近距離で見れるのだ。大人400円。

ちなみに、おいらはげっ歯類が好き。だから、「あの子かわいくない?おいらの好きなげっ歯類系だよ」という表現をよく使うが、誰も理解してくれない。

別に歯が出てるとかってことではない。子ねずみ顔だったり、子ねずみみたいだったらいいのだ。ちんまりしてるってことなのか・・・自分でもかいててよくわからなくなってきたが、「げっ歯類」="ほめ言葉"なのだ。おいらには。

園内にはいりすぐにエサをあげに敷地内に入るが・・・天気の良い日曜日ということもあって、結構混み合っていた。混み合ってるだけならいいが、それすなわち、リス君たちがエサいっぱいもらいすぎて、飽食状態ってことであった。

だから、100円で買ったひまわりの種を、ほとんど「鍋持ち」にしかみえないミトンの上にのせ手を差し出してみても、リスはよってきもしない。ひたすら食後の運動とばかり、せわしく動き回るのみ。

この敷地内(リス野放し牧場)は家族連れやカップルもいるが、やはり子供が一番多い。ウジャラパジャラおる。そして、エサをまだ食べられるリスの数は限られいるにもかかわらず、あげる側はとにかく多い。需要と供給がまったくなりたっていないのだ。

だから、どうしても食べてくれそうなリスのもとに近寄って手を差し出すことになるのだが・・・・子供が無邪気にそのリスに寄ってくる。わ〜〜〜ここにいる〜!と。子供と腕のリーチを競って負けるはずもないが、そこで子供をライバル視して争ってみたところで大人気ない。そうはいっても、あげないと無駄に時間だけが過ぎ、残るのはひまわりの種のみ・・・・いや、そういうことではなく、「おいらもリスをみて心癒されたいのだ!」と、おいらは言います。

それでも、真正面から子供と争えないので、2歩ほど横にのいて、そこから手を伸ばす。子供も手を伸ばせるし、おいらも手を伸ばせる。あとは、リスの気持ち次第・・・と、公平な戦いの場に持ち込んで楽しむ。

が、マリカルメンは違った。えさをあげないと、いつまでたっても無くならないし、そもそも来た意味がないではないか・・・といっているのに、子供が来るとすぐにのいて、手を伸ばすのを諦めてしまう。なのに「えさ、食べてもらえ〜ん」と泣きつく。そして、たまにわびさびのない「ほら、たっくんここ入りなさい・・・ここ・・・」とムリカラ隙間に子供を埋め込もうとするおばはんに「なんやあのおばはん!トンタや、トンタ!」とおいらに愚痴を言う。

どうにもこうにも落ち着かないので、リス放牧場をあとにし、ウサギを抱きにいくことにする。テンジクネズミもおり、それも抱ける。あやつらも、なかなかかわいいのだが、ちょっとおいらにはあの寝癖のような、パンキッシュなような髪型が、好みと微妙に一致しないところもあるので、やはりウサギにする。

おいらのところに運ばれてきたのは8歳くらいのメスのウサギ。首のところが、その年齢のメスウサギ特有の襟巻き・・・というか、二重あごか三重あごといった感じでぼよんとなっている、おとなしいウサギ。

マリカルメンのところには、3歳だか5歳のオスウサギで、二匹とも最初はおとなしくひざの上でウトウトしていた。

が、de repente!

オスウサギ君が、マリカルメンのひざから強引においらのひざに来たかと思うと、齢8歳(人間にしたらかなりの婆さん)のメスウサギの上に乗っかり、カクカクしはじめるではないか。

動じない婆さんウサギ。

動じまくるうちら2人。

あ〜〜〜れ〜〜〜〜〜。婆ちゃんになんてことを!!!!

動物の本能ってすげ〜な〜としみじみ。

ちなみに、おいらはウサギにはなれている。数年、共に生活したこともあり。

閉園が4時半かなんかなので、ぼちぼち帰ることにした。ポケットにはほとんど残っているリスのえさ「ひまわりの種」。スペインで磨いた腕で・・・いや、歯でパクパクくってやろうかとも思ったが、飼育員さんにお返しすることにした。

で、パンキッシュなテンジクネズミを眺めたり、ちょっと珍しいタイプのリスを眺めたりしていると、さきほどエサを返した飼育員さんい声をかけられる。

「なんか、いままたおなかが減ってきたらしく、みな戻ってきてるようです!いまならエサ食べてもらえますよ!」

とのこと。

先ほどのリベンジじゃ〜!と「鍋もち」を右手にはめて、先ほどぶ〜ぶ〜いっていたマリカルメンの右手にはたっぷりエサを乗せ、小腹を減らせたというリスの元に・・・

その瞬間、マリカルメン蹴躓いて、手の上の大量にひまわりの種を撒き散らす。

お前がトンタや!!
(※tonta:馬鹿、あほ、ぼけ、なす)

まぁ、それでも無事餌付けにも成功し、かわいらしい写真もたくさん取れたのでよしとする。十分癒されたし。

いや〜ちんまりしててかわいいわ。

とった写真を数枚載せておく。

手が〜手が〜
手が〜手が〜!でも、よくみるとネズミだな。いや、よくみなくても・・・・


寝てる
手が〜手が〜!船こいでた。

なぜかリクガメ
なぜかリクガメもいた。大人気であった。子供をいやがって本気で逃げてた

天竺ウサギ
パンキーファンキー

おばあちゃん
婆さんウサギ



coger a 人 desprevenido(da):意表を突く
pilla a 人 de nuevas:意表を突く(口語)
coger a 人 de(por) sorpresa:意表を突く(驚かす)

使ったことないからなんもいえん。だけど、基本となってる動詞・・・cogerとpillar。これにはちょっとした想い出あり。

「ちょっと持ってて」というとき、「coge!」と言う。ちょっと語気的に強い感じがするが、友達同士ならよくつかってた。「coge porfavor」とpor favorをいれてもか。普通は、もってもらうものによって「lo」とか「la」が後ろにつく。「cogelo」、「cogela」と。さらに間に「te」が入ることもあり。

で、Manoloの妹でSuper Guapa、demasiado GuapaなLauraが、おいらにむかって「pilla!」と物を差し出したことがあった。おいらは突き出された物を意味わからずとりあえず手に持つ。「pilla?」となんだその単語・・・と考えてると「Gracias」とLaura。

「『pilla』ってなに?」と聞くと、「coge」と同じ意味よ・・・と教えてくれたが、なぜかはにかむLaura。Santiがやってきて、おいらにさらに説明してくれた。「pillaはcoloquialな言い方なんだよ」。coloquialとは「砕けた感じの日常会話」的な意味だ。だからといって、Lauraがはにかんだ答えにはならない。かといって「なんではにかんでるの?」というスペイン語は当時のおいらにはとても表現できない。なんか腑に落ちなかったが、Super Guapaな癖して、よくManoloのママン(つまり、Lauraのママン)と口げんかしたり、Manoloに刃向かってばかりのLauraがはにかんだ姿をみれたのはラッキーであった。

どうでもいいが、スペインにいて、Lauraの名前で外れたことは一度もない。タダの一度もだ・・・。全員Super Guapaだ。だから、おいらももし女の子供ができたらなんとしても「ラウラ」という名前をつけようと考えたが、日本でそれやったら「恥」以外の何ものでもない気がしたので、泣く泣く諦めた。鉄腕アトムにでてきそうな名前だし・・・。

話がそれまくった。

斬切り頭をいくら叩いてみたところで、まったくもって文明開化の音がしない我が町Utiel。よく、ヨーロッパで歴史あふれる都市を表現するときに「時の流れからとり残されたような・・・」みたいな表現が褒め言葉として使われるが、我が町Utielは、本気でとりのこされてる町で、とにかくなんもない。

だが、2日・・・ついに近所に・・・といっても車で5分くらいかかるのだが・・・TSUTAYAができた。

「あ〜映画怖い、映画怖い」とうひうひ言いながら調査にでる。マリカルメンをつれて。

レンタルスペースもそこそこの規模あるが、それだけでなく、本屋や文房具、ゲームコーナーまで一緒についている。「巨大」とはいえないまでも、「中規模」なTSUTAYAだ。スペイン映画の品揃えなんかも一応確かめ、プラプラTSUTAYA内を散歩する。その前に、TSUTAYAカードを作成する。

どうでもいいが、またここでもクレジットカードを作ってしまった。カードは使わないからいらんのだけど、そういう輩を引き込むべく、相手も手を変え品を変え攻撃してくる。これまでスペイン生活で使う一枚だけだったが、ヒムナシオに入会したら一枚作らされ、ここTSUTAYAでも一枚作る羽目になった。別に作らないでもいいのだが・・・やはり得するのはカード付きの方。「カードはもってもつかわなければいいのさ」と自分に言い聞かせて、カード付きを注文した。

初日というのもあり、DVDレンタルも100円のセールをやっていたが、ゲームなども「本日限り」みたいな感じでセールをやっていた。その中にNintendoDSがあった。もとの値段をそもそも知らないが、「セール」となっているので安くなっているのだろう・・・。

マリカルメンの誕生日が近いので、かなりの冗談で「誕生日・・・NintendoDSこうてやろうか?」といってみたら「え〜〜〜!!!ホント!??」と目を輝かすマリカルメン

かなり意表を突かれた。NintendoDSなんてほしがるなどとは露にも思わず・・・思い返してみれば、確かに、これまで多少興味がありそうなことはいっていたことはあったが、それはおいらと同じで「少しくらいやってみたいよね〜」という程度で、それは誰か持ってる人のを借りて少し遊んでみたら満足する程度だと思っていたのだ。

ということで、冗談が本当になり、NintendoDSを購入することになった。おいらは、この手のゲームは危険なので、自分では持ちたくない。はまったらはまりまくるから。そうすると、あれよあれよと時間が減っていく。自分の感覚よりも3倍速くらいで・・・。それは、つまり、日記も含めて、なにも進まなくなるということだ。マリカルメンは通石積みの行き帰りにやるとかいっているが、おいらはそんな綺麗に割り切って遊べない。遊ぶとなったらとことん遊んでしまうのだ。

まぁ、なんでもいいや。

とにかくNintendoDSゲット。

おいらは見てるだけでいい。それか期間限定で借りるだけでいい。

CDをとりあえず借りる。

調練にぴったりの曲が「Boom Boom Satellites」ということがわかったので、まだ聞いたことがない、初期のアルバムを二枚ほど借りた。だが・・・どちらも調練には会わない曲ばかりでがっかりな結果に終わる。結局「ON」のみだということだ。

もう一枚は、先日寅さんと滋賀の旅にいったとき話にでていらい、どうにもこうにも頭から離れないDef LeppardのHysteria。おいらにとっては青春の一枚だ。中学生当時、Guns N' RosesのAppetite For Destructionと並んで何回聞いたかわからないアルバム。

ただ、中三以前のCDなので・・・火事で燃えた。

買い戻す財力もなく、そのまま今まできてしまったのだ。

ちなみにGuns N' RosesのAppetite For Destructionも水に濡れ、CDにも煤がつき、焦げたといえば焦げたのだが・・・なぜかCDプレーヤーは読み取ってくれたので、今も手元にある。

マリカルメンはなぜかミスチルのHOMEを借りたが、これも外れ。イマイチであった。5枚で1000円の最後の一枚はLou DonaldsonのAlligator Bogalooというアルバム。普通によかったが、普通すぎた。今度から借りるときはきちんと視聴してからにしようと心に誓う。今日は文明開化の押し寄せる波にやられたということで許すことにする。

NintendoDS・・・ゲームウォッチで遊んだ世代のおいらからすると・・・まさに文明開化である。単純にすごいよ。感動さえ覚える。

でも、まぁ、無くても生きていけるけどね。