一ヶ月経過

Alejandoríaアレクサンドリア(アレハンドリア)
Lebanoレバノン(レバノ)
El Cairo:カイロ(エル・カイロ)
Atenas:アテナ(アテナス)
Egipt:エジプト(エヒプト)
Greciaギリシャ(グレシア)
Torquía:トルコ(トルキア
Chipreキプロス(チプレ)
※( )内はスペイン語での発音

国名は重要なり。スペインひきこもってると、いろんな人とであうが、まず最初は自己紹介だ。そのとき相手の出身国がわからないと、その後の話も続かない。

国名は日本での名称を知っていれば想像できるので、まぁ実際はそれほど困るわけではないが、やはり英語名でいうよりもスペイン語でいったほうが、気分的にかっこいい。

おいらがスペインに到着したその日・・・ついて2時間後にはFiestaの場にいた。たまたま、学校のPISOまで連れて行ってくれたのだが、後の同居人であるSantiであり、その日がたまたま金曜日であり・・・と偶然が重なったのだ。

そのとき、おいらはスペイン語はおろか、英語も全く話せない状態。しかも、長旅を終え、ようやくバレンシアについたばかりであった。初めての土地だ。

が、「ここで逃げては日本男児が廃る・・・・ええい、ままよ!南無三!」と、Fiestaに飛び込む。

そこで、同じく後の同居人となるManoloとも知り合うが、仲良くなるのは後のこと。

Fiestaは10人にも満たない程度であった。時期が11月というのもあったのだろう。メンバーは細かくまで覚えていないが、校長のAndreasもいた。

皆は当然スペイン語で盛り上がる。が、おいらは何も話せない。「聞き役に回る」という表現があるが、その「聞き役」さえできないのだ。だって、何言ってるかまったくわからないから。

目の前に、いかにも外人外人した、当時のおいらよりは年上っぽいが、結構かわいい子がいた。その子が、気を利かせて、いま盛り上がっている話を英語で訳してくれる。英語がまったくわからないわけではないので、「テーマ」くらいは多少わかり、微妙に「聞き役」になることはできたが、そこに冗談交じりの既知に飛んだ会話を投げかけることなぞできなかった。

これはいかん・・・これはいかん・・・あれこれ考える。

よし・・・その子がどこ出身か聞いて、話の主導権を握ってやろう!

お「どこからきたの?」(英語。それくらいは言える)
女「チプレ〜!」
お「チ、チ・・・プレ?」
女「そう、チプレ!」

目眩がした。

歴史を専攻しており、世界史なんかもそこそこわかるので、国の名前には自信があったのだが、そんな国聞いたことがない。聞き間違いかと思って、再度聞いてみたが、帰ってくる答えはやっぱり「チプレ」だ。

その時点でもまだ誇りを持っているおいら。そうだ!たぶん、アフリカだ!アフリカの国ならわからないところあるかもしれない。

いや、ちょっとまて・・・明らかにアフリカ人じゃないだろう。どうみても白人だろ・・・アフリカなわけない・・・。

まだ諦めないおいら。ちなみに、ここまでの思考はコンマ何秒の間のことだ。

あ、わかった!!!おいら英語できないから、国名じゃなくって、都市名聞いちゃったんだ!そうに違いない。都市名なら、さすがにわからないのもあるよな〜。うんうん。都市名だ、都市名!

お「え?それって・・・どこの街?」(英語。それくらいは言える。)
女「街じゃないよ。国だよ?だって、出身国聞いたんでしょ?」

あ、あってたじゃんか・・・おいらの英語・・・・でも、どこ?どこなんだ〜〜?あ〜〜〜わかった!こんどこそ絶対だ!ロシアだ。ロシア。ロシアのあたりで、独立した国がたくさんある。あの辺の歴史疎いからな〜。それに、次から次へと増えてるからな〜。そうに違いない!肌の色も、ロシア人みたいに白いし!!

お「ロシアの・・・方?」
女「え?違うわ・・・あ〜ごめんなさい!スペイン語わからないのよね。キプロスキプロス!」
お「キプロス・・・が・・・チプレ?」
女「そう。チプレ!」

このネタで、なんとか話は多少続いたものの、キプロスの場所こそわかるが、歴史にはわからなかった。「日本人でもキプロス知ってるんだぜ〜」くらいのところを見せつけ、かつ、優雅に会話してやろうと思ったのだが・・・。

彼女との会話はここで終わった。そして再び「聞き役」となる。

余談だが、キプロスに旅に行くという発想は、当時も今もあまりなく、そこの人と知り合いになるとは夢にも思っていなく、初日からちょっとした興奮状態に陥ったが、その後、3年にて、キプロスの人にあったのは、彼女が最初で最後であった。ギリシャ人は数人知り合ったが・・・あとマルタとか。

なんかすげ〜とこきたんじゃねぇ〜の、おいら・・・って、ちょっとビビリもした。

しばらくして、別の作戦を思いつく。

まだおいらは学校に一日たりともいっていないわけだから、スペイン語を話せないのは当然なのだ・・・卑屈になる必要はない。なんとか、会話に入れさえすればいいのだ・・・。

また彼女に話しかける。

お「ねぇねぇ・・・「これはなに?」って、スペイン語でなんていうの?」(英語。それくらいは言える。でも、たぶん今は言えない。)
女「ケ・エス・エソよ」
お「ケ・・・・エス・・・・エソ??」
女「そう。」
お「ありがと〜」

その後、再び話が聞けない「聞き役」になり、虎視眈々とタイミングを狙う。今ならったばかりの「ケ・エス・エソ」を使うのだ。まけるものか・・・。

そこから、おいらの「ケ・エス・エソ」攻撃が始まった。

手当たり次第に、指をさしケ・エス・エソを言いまくる。数十回いったあたりで、あまりに言いまくったせいか、Manoloからつっこみが入る。

マ「%&#〜=〜$!#$?」(スペイン語だ)
お「???」
マ「%&#〜=〜$!#$?」(スペイン語だ)

泣きつくような顔で、キプロスっこを見る。

女「どれくらいスペインにいるんだ?って」(英語)
お「2年くらい・・・」
女「え?2年???」
お「うん・・・」
女「2年いるのに、スペイン語まだわからないの?」
お「ん?」

この辺りから英語が微妙になってくる。

お「えっとね・・・これから先・・・未来ね・・・2年いる。おいら」
お「どれくらいいるって・・・・聞いた・・・よね?」

突然、Santiが助け船を出してくれ、Manoloにスペイン語でなにやら説明している。そして、Manoloが驚いた顔でおいらに話しかける。今度は英語だ。

マ「今日着いたのか?」
お「うん・・・さっき。Santiと一緒にPISOにいった」
マ「今日って・・・さっきか?」
お「三時間前くらい」
マ「それで、今、この場にいるのか?」
お「うん。Santiに誘われた」
マ「そうだが・・・・英語は話せるのか?」
お「ほんの少しだけ。」
マ「スペイン語は?」
お「まったく」
マ「それでこの場にいるのか?」
お「うん」

なんか、あきれられているというか、驚かれているというか・・・キプロスの子もびっくりしていた。誘ったSantiだけは「なんで?」って顔をしている。まぁ、おいらも「なんで?」ではあったが、何となく言わんとしていることは意味がわかった。

その後も、おいらのケ・エス・エソ攻撃は続いた。「tenedor」(フォーク)が何度きいても覚えられず、しかも、その数日後の別のFiestaでも同じ事をきき、一緒にいたSantiに「正樹・・・これで5回目だぞ!」といわれる羽目になった。

その後の会話は、スペイン語学校のFiestaで、スペイン語を話すということが前提であったが、おいらのタメに英語に切り替えてくれた・・・。Santiも、Manoloもイギリス留学してたから、スペイン人なのに英語は話せる。Andreasも英語が流暢であったが、その時点ではドイツ人だと知らず。今なら多少、何人か区別つくが、当時はスペイン人もイギリス人も区別つかないから、さもありなん。

今、これ書いてて改めて思ったけどさ・・・

Santiさんよ・・・おいら、なにも話せないの知ってるんだからさ・・・最初にそれくらい紹介してくれてもよかったんじゃないの?みんな、おいらがスペイン語、多少話せると思って来てると思ってたんじゃないの?だから、Fiesta前半、ず〜〜〜〜〜〜っとスペイン語だったんじゃないの?ただでさえ、Manoloは英語禁止先生なのに・・・

ということで、「やっぱスペイン人は優しかった!」と、スペインを選んだ理由を強化してくれたFiestaであった。

その日は、結局朝まで呑んだ。そして、英語での会話だったけど、Manoloともだいぶ会話ができた。ただ、英語とはいえ、話の半分くらいは理解できてなかったと思うが・・・。


なんか懐かしいな〜。

珍しく思うわ・・・あの頃に戻りたいって


で、なんだけっか。なんで地名がでてきたんだ?

あ・・・そうだ。

今日は書くことがないから、続・ひきこもり生活について書こうと思ったんだ。

アレクサンドリアにいくことになり、鼻歌交じりに向かったのだが・・・海賊にやられて船撃沈。一撃パットン君だ。なんだあの海賊・・・。大枚はたいていい船買った直後だけに、ショックもでかかった。まぁ、お金は流されなかったのが不幸中の幸い。積荷はそこそこ流れた。

船員の疲れをとるために振る舞う水タバコが高けぇ〜!一杯90ドゥカートだよ。15人船員いるから1350ドゥカート。これがどれくらい高いかというと、鶏とか豚が19ドゥカートで買えることからも高い。サフランが2700ドゥカートくらい。

ヨーロッパの都市で、ポルトワインとかボルドーワインとか、ラム酒とか、シェリーとか呑ませてれば15人で300ドゥカート。

やっぱ高い。

レバノンの酒場(休憩所)のマスターに、なんかしらんがウォードとかいう染料の樽を2樽で情報を売ってやるといわれる。そんなもん持ってないので、それを探して、チプレ周辺やら、アテナスとかを奔走する。その最中に、海賊に沈められたのだが・・・。

どこにあるのかさっぱりわからず、エーゲ海を越え、イオニア海を越え、アドリア海へ・・・結局イタリアまでくる羽目になる。そこで、ラグーザを発見。

え〜〜!ラグーザってシチリアじゃねぇ〜の?

と一人ディスプレイにむかって叫ぶ。

測量による位置的には、今のドブロブニクあたりに、そのラグーザがあるのだ。旧ユーゴスラビア。今だとクロアチアの都市。世界遺産で有名。

まぁ、わからんけど、中世だとシチリア強くて、この辺に同名の都市あってもおかしくないか・・・ん?イタリアのヴェネチアとかでも聞いたことある名前な気が・・・「湾」って意味だっけか?

まぁ、あるもんはあるからいい。

そこにはいると、はたして染料ウォードは見つかった。結構高いが、いたしかたない。

ここまできたらヴェネチアにもよっていこうと、ぐるりとアドリア海を一蹴する。他にもザダールやら、アンコナ、トリエステも発見する。

そのままレバノンにいって、件の酒場のマスターに報告。その後、何か宝物を探さないといけないのかと思ったが、クエスト(冒険)はここで終了。

海賊にびくつきながら戻ることにしたが、ここまできたら、なにかいいもん買っていって、セビージャ方面で売らないと!と、レバノンでダマスク織を買えるだけ買い、船に積み込む。ついでに、石油とかジンジャー(ショウガ)とかも手に入ったので、積めるだけ積み、セビージャに凱旋。

ウォード探している最中に数度海賊に襲われ(うち沈められたのは一回)たため、どの海賊が危険かを察する能力を得、帰りはこざかしい海賊だけで、無事戻ることができた。

その冒険の報酬は40000ドゥカートであったが、はっきりいって大赤字である。名声とか、まだイマイチよくわかってない要素があがったくらいで、その時点での残高としては赤字である。

あとは、発見した街を報告し、さらに期待しているダマスク織がいったいいくらで売れるか・・・。

それを楽しみに寝ることにした。

ya esta

resultado:(名) 1.(試合、試験の)成績 2.結果、成果
fruto:(名) 1.果実、実 2.結実、結果、成果、収穫、産物、実り

「成果」でぱっと思いついたのはresultado。ただ、今回の場合はfrutoの方がmejorっぽい。「実り」的な成果だから。お勉強になりました。ちなみに、普通に「フルーツ」という時はfruta。女性名詞だ。これって、naranja(女)でオレンジ、naranjo(男)でオレンジの木となるのと、似たような理由なんだろうか?なんかわからんでもない。

ってことで、調練を開始して一ヶ月が経過。とりあえず、区切りということで、数値を測ってみた。

体 重:-1.7kg
脂肪率:-2.1%

これって、すこぶる順調なんじゃないのか?脂肪率にいたっては、来月同数値落とせば、スペイン帰国直後と同じになる。めでたし。

体重は・・・スペインから帰国後7kg増だから、まだ5.3kgも残っている。同数落としていってもまだ3,4ヶ月かかる計算だ。まだまだ先は長い。でも、やっぱ変化はあるのとないのとじゃ、気分が違うわ。

先が見えて思ったが・・・「運動不足」って、運動しなくなったらまたなるわけだよな?ってことは、そうならないためには一生続けるってことなのか?そのころには金持ちになってて、月4回しかいけなくても「まぁいいか・・・」ってなってるのか?

やっぱ先みるの苦手だ・・・。