Moros y Cristianos de Alcoy / ハードボイルドについての妄想

ハードボイルドな漢になりたくなった。で、それについて書こうと思ったが、重要なFiestaがあったのを忘れていたので、先にそれ書く。

詳しいこと書いてる余裕がないので、3年前の日記を参照。

2005年04月24日(日)Alcoiのひきこもり方

2005年04月25日(月)!Trabajo!が空しく宙を舞う〜

バレンシアーノだった頃はAlcoiにこだわってた気がするが、別にAlcoyでも問題なし。

ということで、おいらにとってはいろいろ思い出深いAlcoyのMoros y Cristianos。明日が、San Jorgeの日。まだギリギリ間に合うといったとことろか。

行ったら、耳ふさぎながら市内を散策して、途中で発見すると思われるカラコレス(でんでん虫)いっぱ〜〜いの無料Paella堪能し、ハードボイルドな感じででんでん虫のカラを「ぺっ!」ととばし、おくびを一発。

その後、観光客目当てのMujeriego(Viejo verde)たちと写真を撮る。女の子だったら、ハードボイルドな感じで肩や腰に手が回ってくるはず。それを突き放さず耐えていれば、それぞれのFilaのマークやらコスチュームを身にまとったキャラクターが印刷されたライターやらキーホルダーが大量にもらえること間違いなし。

それらは男もがんばれば当然もらえるのだが、Mujeriegoたちに気に入られなくてはいけない。それはそれでいいが、それよりは街の中心広場からちょっと入ったところにあるプラサ・・・名前は忘れたが、そこに行けば仮装している人たちばかりではなく、Mentiraというcafeの入ったお酒が買える。それを購入したら、エロかっこいいアマゾネスな女の人たちを、ハードボイルドな感じで散策するのがよろし。かなり興奮できるはずだ。

先に「耳をふさぐ」と書いたが、この祭りが好きな地元の人(全員ではない)たちに見つかると「ケ・オンブレ!」と怒られるので注意が必要。どうしても耐えれなかった場合に備えて耳栓をもっていくのも良いが、そこまで用意周到だと、さすがに興ざめなので、ハードボイルドな感じで、鼓膜の角度を変えて散策するのがよろし。

バレンシアの火祭りのペタルドやマスクレタを体験して「あれほどうるさい祭りはない」といっている人ならば、是非とも行ってみることを勧めたい。

比にならない

できれば、行く前にこのSan Jorgeのフラッシュゲームをクリアしていってもらいたい。おいらは、辞書片手に、泣きながら、朝までかかって、ハードボイルドな感じでエンディングみたった。

おいらはこのFiestaに、2回半(一番最初の時は、交通の関係だったか、ほとんどみれてないのだ)ほどいっているが、マリカルメンと出会ったのが2004年のこのFiestaだし、CoraやChristinと仲良くなったのもこのFiesta。なにかと思い出深い。

バレンシアの伝道師としてのお仕事はここでおしまい。


さて、ハードボイルドだ。

逢坂剛の小説はハードボイルドだよ」・・・とねねちんもいっていたが、いやはやいやはや、ハードボイルドだね〜。おいらが良く聞くハードボイルド小説というと、ぱっと北方健三が思いつくのだが、実は彼のハードボイルド小説はあまり好きではない。北方水滸伝はむちゃくちゃ好きで、「ハードボイルド」と銘打って出ている小説よりも、よっぽどハードボイルドな気がする。おいらが呼んだやつがたまたま面白くなかっただけかもしれないが、あまり相性が良くない。

けど、この逢坂剛の小説の方は、なんかぴったりだ。小学生のころに寺沢武一の「コブラ」がバイブルだった時代があったのだが、あの頃、猛烈に「ハードボイルド」に憧れた。もちろん、小学生の頃の話なので、「ハードボイルド」なんて単語は知らないが、何かしらの「漢」を感じさせてくれるキャラクターだったのだ。まぁ、彼の描くアメコミ調ともいえなくない、エロいがエロくない女性キャラクターに惹かれたというのもあるだろう。

最近だと「カウボーイ・ビバップ」のスパイクあたりがハードボイルドになるんだろうが、コブラと比べるとちょっと弱い感じだ。

ただ、調べたところ、ハードボイルドの定義がイマイチはっきりとしてない・・・というか、広がったというか、枝葉に別れたというか、そっちが今はメジャーになってしまったとかなんとか。

上に上げた北方も、今読んでいる逢坂剛も、雰囲気的には、後期ハードボイルド(?)の部類らしい。昔からハードボイルドというとパッと思いつく「君の瞳に乾杯」のハンフリーボガート(カサブランカ)が元になった記号化されたハードボイルドらしい。

まぁ、wikiを斜め読みしただけなのだが・・・

帰りの電車で、ぼ〜っと考える。

「無口な男になる!」といった5秒後に諦めたおいらとしては、記号化されたハードボイルドでもいいので頑張りたいところだし、イロニコなら多少得意だし、天の邪鬼さも素質はあるかと。でもって、別におしゃべりでもいいっぽい。井戸端会議のおばちゃんみたいな会話じゃダメだろうが・・・。

まずはこの軽装浮薄なところを直さないといかんとは思うのだが、コブラコブラでなんとなくそんな感じがするんだよね。ただ、あれは何らかのヒリツイタ危機に瀕しているからいいわけであって、今のこのぬるま湯半身浴生活でこの状態で

「お芝居はよせよ。本当に帰るつもりなら、ハンドバッグを忘れるはずがない」

とか

「これはごあいさつだね。きみはここに、空調器の具合を見に来たとでも言うのか」
(※共に逢坂剛『幻のマドリード通信』)

いってみたところで、笑われるだけだろう。

書いてて、いま色々気づいた。

まず、そのセリフだけ抜き出して描いたところで、チープきわまりない。小説読みすすめているから「いいセリフ」だったわけであって、これだけでは何の意味も持たない。

それはすなわち、環境をそろえないとダメってことやないか。どう考えても「ハンドバックおいて帰ろうとする女」がいるような状態になることはないと思われ・・・。

ここまで具体的なセリフを出したら、当然具体的な環境じゃないとそぐわないのはしょうがないが、どちらにしろ、ハードボイルドを演じるにはその相方(女でなければいかんだろう)、その環境作りを手助けしてくれる相棒(味方・敵含めて)がいなくてはいけない。

つまりなんだ・・・ハードボイルドって、やっぱお話の中だけのことなのか?

真実は小説より奇なり・・・ということで、百歩譲って、ハードボイルドなセリフがとりあえず使える状況が揃ったとしよう。

俺のことが気になって様子を見に来た女。
「やばい!」と思って身構える俺。
名前をいう女。
ほっとして女をいれる俺。
「今日は仕事は休みか?」
「ずる休みよ」
「それで退屈しのぎに馬鹿な日本人を見に来たっていうのか?」
「お互い汚い仕事をしていることは承知の上でしょ!いまさらののしりあったってしょうがないわ」
「君はやつのことを気づいたのか?」
「まぁ、うすうすね。口が堅い男だったから・・・」
「ベッドのなかでもかね」
唇をかみしめ帰ろうとするが、ノブには手を伸ばさず、足を止めたままの女
「お芝居はよせよ。帰るつもりなら、ハンドバッグを忘れるはずがない」

・・・・まだまだ続くが、すでにこの時点で無理があるだろう。

いや、世界は広い・・・今現在もこんなやりとりやってる人たちがもしかしたらいるかもしれない。アメリカ人とか。

この手の軽口って、日本人には似合わないのかね〜。言われた方も噴飯ものな気がしてしまうのだが・・・それ以前に、この会話につきあってくれる人がいるもんなのか?ハードボイルドな会話の醍醐味に、こんな感じの女とのやりとりにありそうだから例としてあげてしまったが、ハードボイルドレベルとしては、かなり高いのだろうか・・・まずは、男と練習だな。

ぬ・・・これも今思いついたが、場所がスペインだったり、スペイン人だったりしたら、いけるような気がしなくもない。アンダルシアの小汚い宿とか、ぴったりな気が・・・あ〜あのZamoraの一泊飯付き7euros宿とか完璧な気が。

しかも、言うのは日本語じゃなくって、スペイン語

この感覚は、スペイン語を使うようになってから気づいたものだが、日本語でいうと恥ずかしい言葉でも、スペイン語でいうと、まったく恥ずかしくないってことは、多々ある。

もっともわかりやすい例でいえば、『愛してる』という単語は言うのに抵抗があっても、TE QUIEROなんて、ものすごい簡単にいえる。それは単に、おいらがその言葉に持っているイメージと重みが全然違うからなのだが、その分、キザな軽口もスラっといえてしまうかもしれない。

ちなみに、TE QUIEROは、日本と同じく・・・いや、日本よりも重いかもしれない。あのスペイン人が「重いよ〜〜!」っていうからには、さぞかし重いのだろう。日本語でいうところの「好きだよ」はMe gustas (tu)(メ グスタス トゥ)で、かなり幅広く使える。

もう少し煮詰めてからじゃないとダメだな・・・こりゃ。

スペインいったらManoloやSantiあたりと、ハードボイルドな会話の練習をしてだな・・・。

ぬるま湯妄想終了。

めでたしめでたし。