いけないキノコを食べました。

「ひゃっほ〜〜い!ひゃっほ〜〜い!!」

マリオ・・・楽しいわ。コレ。

いまさらだが、マリオのすごさを再認識したわ。

スーパーマリオブラザーズをはじめたやったときの感動が、いまここに再び!(タイム紙)


何がすごいって、サイトのレビューでも誰か書いてたけど、バランスが絶妙。難しすぎず、簡単すぎず。ゲームのボリュームもすごいし、Wiiリモコンを使った操作を余すことなく使ってる感じ(っていうか、Wii3日目だけどさ)がする。とにかく、作りこまれたゲームであった。

が、そのゲーム内容よりも感動したのが、あの世界観。

いったい誰が考えてるんだよ・・・あれ。次から次へと、まぁ、いろいろと思いつくもんだ。悔しいくらい子供心を持った人間に違いない。おいらは、何もできない体の大きな子供ということを思い知らされるよ・・ううう。

世界観も世界観なら、それを形にする技術も技術だ。あの手のゲームってどういう風に作られてるのかわからんけど、素人目でみると、気が遠くなるような時間が必要な気がするのだが・・・あれって作るの大変じゃないの?大変なんだろうけど、その大変さが想像できない。どれくらい熱いかわからなくて、太陽の熱さを想像してしまうくらいわからない。

あの技術を定価いくらかしらんが、たぶん6800円くらいなんだろう・・・そんな値段で売って、どうやって採算とってるのかが不思議。製作者が、その分泣いてるのだろうか。

もうひとつ。音楽。かなり良い。世界観にもあってるし、あのオーケストラな感じも◎。昔からのマリオのBGMも使われているのだが、なんと名曲なことか・・・。ギャラクシーというだけあって、宇宙を颯爽と飛び回るのだが、その爽快さと、この音楽で、あっというまに世界に引き込まれる。

で、何がいいたいかというと、マリオはやっぱり偉大だということだ。

ホント、あの昨日の迷いはなんだったのだ・・・。

今日は母の日なのだが、金がないから何もできない。三十路超えて肩たたき券もないだろう・・・。まぁ、給料日まで保留にしてもらうことにした。

最近母親は、「死ぬ準備」をいそいそと始めている。子供にとって両親が死ぬことなど考えたくもないというのに、その辺をあっさりいうあたりが、母親の破天荒っぷりがよく現れている。

なんでも、以前うちで働いていた職員さんのお父さんが亡くなったそうなのだが、その亡くなったお父さんが残したもの(遺品ということではなく、身の回りのもの)を処分するのに50万円ほどかかったとのことだった。

その元職員さんいわく、親が亡くなった悲しみとは別に、そういう作業はいろいろと大変らしいのだ。本人だったら捨てれそうなちょっとしたものも、子供にとっては思い出が詰まってて捨てれなかったり、逆に、「なんでこんなものが・・・・」といった感じの要処分なものとかが次から次へとでてくるらしいのだ。

そんな話をきいた母親は、彼女いわく、結構前から少しずつ準備してた・・・とはいうが、ここにきて、ご自慢の古伊万里や、骨董品の食器などをまとめて処分し始めた。昔の手紙や写真なんかも、シュレッダーにバリバリバリバリ〜!と突っ込んでるらしい。

女って、60超えても女だ・・・。怖ぇぇぇぇ!

おいらにはそんなことできんよ。女々しいといわれようが、なんだろうが・・・。特に、いらないと思っても手紙とか捨てれないよ。年賀状とかなら別にいいけど、個人宛にもらった手紙とか、パンドラの箱にはいってるような写真とか・・・。切った結果だろうが、切られた結果だろうが、おいらには無理。でも、その辺においとくと「デリカシーがない」といわれるから、パンドラの箱に。うらららら〜。

そうおいらがびびってると、鬼の目にも涙か・・・さすがに何通かの手紙と写真はシュレッダーにかけれなかったらしい。

よかったよかった。

ということで、この日、おいらが「母の日・・・」っていった途端、「モノはいらないわよ!モノは!もうモノは増やさないんだからっ!」と啖呵を切られた。

しばらくしたら、仏門に入るとかいいだしそうで、我がマドレながら、怖い・・・。