お金の話

全財産235円!

帰宅時、タバコも雑誌も買えなかったけど、ギリギリセーフ!
マリオ・・・じゃないや、コントローラー買ったときはどうなることかと思ったが、なんとか峠は越した。ん?違うか・・・もう峠越して下りきった状態か・・・・。

前にも書いた気がするが、手持ちの金がなくなればなくなっていくほど、なにやらひりついた感覚が沸き起こり、たまらなくゾクゾクしてくるのは、ダーウィンの言うところの「進化」といっていいのだろうか?

エサ食べるために首が徐々に伸びたというキリンさんのように、なんとか楽しく生きていくために、貧乏に悦楽を感じる。

絶対そうだと思うんだよね。

まぁ、貧乏といっても、食べれなくなって死ぬことはない「安全」な貧乏だけどね。
この感覚って学生のころにはなかった。学生のころは、なぜか普通に金あったし。じゃ〜、いつから・・・と、そこから時間を進めていくと・・・・わかった、あそこだ・・・。

スペイン行くことを決意し、大学院を逃げ出し、とりあえず金が必要なので石積み始めたあのときからだ。

出発予定は一年後に設定し、できるだけ多くの金を貯めることにした。漠然と、スペインで1年生活するのに余裕をもって見積もって100万かかると計算し、ひきこもるのは2年の予定なので、合計200万。それだけあれば、まぁ、なんとかなるだろう・・・ダメだったら早めに帰ってくればいいし・・・・という感じで開始。

200万円を12ヶ月で割ると、約17万を月々貯金しなくてはいけない。できる限り余計な出費は抑えた。もう少しだけわがままをいわせてくれ・・・と石積み始めても家にお金いれてないばかりか、どうせ、パパンの弁当を作るから・・・と、弁当まで作ってもらった。これがあとあと考えるとかなり大きかった。缶ジュースを買うときも悩み、交通費(派遣だから出ない)も、石積み日数を数えて、回数券の方が得か、定期を買ったほうが得か・・・を毎月計算していた。差があったとしても500円も違わないのだが、すでに一円単位というのは大げさだが、100円は大金として扱っていた時期だ。

もうこれでもか!っていうくらい、タカーニョな生活を送っていたわけだが、呑みはみながおごってくれた。のび〜やおぐりには何度おごってもらったかわからない。

もちろん、たかったわけではない。「金を使えないのでごめん」と呑みを断ると、「おごるから呑もう」といってくれたのだ。そういってもらって、うれしいやら、申し訳ないやら、恥ずかしいやら・・・複雑な気分に毎回なった。

というのも、正確には「金がない」わけではなかったからだ。どちらかというと「金はある」わけだ。使っちゃいけないだけで・・・・。使っちゃいけない理由も、家族の入院費とか、借金がとかそういう類ではない。スペインに遊学へ行く金だ。完全に自分のためだけの金だ。涙が出たね。

貯金は月に20万を目標していたのだが、実際は夏休みがあったり(会社自体が10日ほど夏休みをとる)、年末年始、GWなどもあり、収入が激減する月も結構あり、結局、1年で貯めれた金額は200万に届かなかった。

このあたりで、設定していた金額に少し不安を感じ始めた。200万じゃ足りなくね?と。学校の申し込みしたり、その後、いろいろ情報を集めた結果、学費含めて150万円くらいかかるっぽいことが判明。あっちでどうなるかまったくわからないけど、金には余裕があったほうがいい。異国の地だろうが、地獄だろうが、なんだかんだで、最後にものを言うのは金。あればあるほどよい。

石積み場にはスペイン行くことは、石積み始める前から伝えておいたので、一年たったときにやめるのはもとより承知だったのだが、できるならもう少し石積んで欲しいという話となった。

おいらとしても、このままの貯金額でいくのは少々不安だったのもあり、また石積み場の雰囲気が楽しかったのもあり、とりあえず半年くらい伸ばすことにしてみた。半年間、気合いれて金ためれば、300万近くにできるんじゃないかと・・・。

そのためには時給アップが必要だった。

そこで、おいらの派遣の担当の人にカマかけてみた。

「もう少し日本で金ためることにしたのですが、別の会社で、今よりも時給が350円高いところがあって・・・そこを受けてみようかと思ってます。でも、今の石積み場で時給があがるなら、残るのもやぶさかではない・・・・」

と。

ここまで高飛車にいってはいない。回りくどい感じで、懇願するように、しかし、多少脅迫するように・・・。まぁ、大意は上みたいな感じ。

そしたら、ものすごい時給が上がった。うろ覚えだが320円くらいあがった気がする。250円だったか?でも、そのどちらかの数字。社会では、そんな理不尽な値上げ通用しないと今ならわかるが、それが通ってしまったのだ・・・。今考えると恐ろしくなる。

今はそうでもないが、当時(2000年?25歳)は、男の派遣はほとんどいなかった時代(現在もあるパ○ナの説明会いったら、300人くらい説明会にきていたが、男はおいらしかいなかった。ウソのようなホントの話)なので、もしかしたら貴重がられたのかもしれない。

ということで、生活は一気に楽になった。しかも、かなり・・・。

それまでの一年間は、交通費を除いて、月30000円前後で生活しなくてはいけなかったのだが、貯金額を上げた上に、小遣い?を月50000円にしても大丈夫なくらい。あの時は、すごいうれしかったものだ。

ただ、実際には、月50000円にはしなかった。あと残り半年なので、貯金にすべて上乗せした。結果、貯金総額は1年半で300万強となった。

その一年半の間、何を買ったのか忘れたが、5000円の何かをひとつだけ自分のために買っただけだった。多分、前の日記を見ればわかるんだろうが・・・調べるの面倒だからいいや。なお、当然、旅に出てない。

で、エピローグ(ってほどでもないが・・・)

スペイン一年目は当然、お金持ち。当時のEurosは110円〜120円の間をうろうろ(結局130円前後までいってしまったが)していた時代だったので(ペセタに比べて最初は高い!と思ったが・・・)、「安い安い!」と金を使いまくる。

スペイン二年目。まだ余裕はあり。スペイン語にもなれたので、旅にもがっつりいきまくった。だけど、使い切る時期くらいは見えてきた感じ。

途中、ヤスオが結婚することになり、日本に呼び戻される。普通なら絶対に断っているところだが、さすがにヤスオのは断れず。結果、超手痛い出費(往復の交通費と日本での生活費)。

しかも、帰国する時期がスペイン滞在2年に微妙に(3ヶ月くらい)届かず。なんか中途半端で悔しいし、中途半端に金も残っている。すっきりしないので、一年延長。「30歳になったら落ち着く」という自己目標があったが、それを広い意味で勝手に解釈を変えて、「30歳の間は自由にしてもいい」ということにする。

日本滞在中に、少しでも足しになればと、バイトで金稼ぐ。

スペイン三年目。バイトで少し継ぎ足したものの、残金は確実に1年過ごせるだけはなかった。無理すれば可能だが、旅などは難しい状況に。

とりあえず、その日の生活費(呑み代)だけでも手に入れば・・・と、バレンシアのフリーガイドをはじめる。完全にダメもとではじめたのだが・・・適度に申し込みあり。個人的にあまり興味がないサッカー系の観光ガイドが多かったとはいえ、とても楽しかった。勉強にもなるし。でもって、今でもつながりある人もいるし・・・。

その合間に、お小遣い稼ぎ程度の簡単な(ノートでもできそうな)WEB製作をやったりなどして、なんとか食いつなぐが、後半のころには一週間を20Euros(2500円くらい)で過ごさないといけないような状況がしばらく続いた。なお、20Eurosは、場所を選べば、3回くらいは普通に呑みにいける金額。ただし、外食は無理。スペインの自炊は安いのでぜんぜん可能。

Vinoも、MercadonaのBotella(ボトル)で買えないので、Bodegaにペットボトルをもって買いにいく。なけなしの金で買う1.5Lで1.3EurosのVino。このやりくりがとてつもなく楽しかった。

そういえば、ひょんなことから、スペインのテレビにも二度ほど出演した。さらには、テレビCMの声優(アテレコ?)みたいな仕事もした。床用洗剤のCM。何度も、いわされたから、いまだにその台詞いえるし・・・。カラテキッドのミヤギ(みたいなおじいさん)の役。パロディーだ。

そのお駄賃もバカにできなかった。ドッキリカメラはドッキリの収録と本番の二回で250Eurosだったが、声優の方は30分ほどで150Euros。なんか不思議だった。少しの間BotellaのVinoに戻る。

とにかく、ほそぼそとほそぼそと食いつなぐ。見事なほどのその日暮らしの自転車操業だったが、なんであんなに楽しかったんだろう。

冒頭で、ひりついた感覚がしてゾクゾクすると書いたが、日本でも貧乏になると、この当時のスペインひきこもり生活を思い出して、なんか顔が勝手にニヤけてしまうということも、理由のひとつになんだと思う。

たぶんだが、そのまま滞在し続けたら、なんとか食いつなぐか、また違った道を発見できたとは思うのだが、30歳も見えてきて、日本でやりたいこともあるし、とりあえず、一段落させようということで、日本に完全帰国することに。

約3年間に渡すのスペインの下見終了。

さてさて、本番はいつになることやら。


帰りの電車。

いつものように満員の中、Paco de LuciaをBGMにハードボイルドな世界に浸る。

が、すぐ目の前で何かがしきりに動いている気配がして落ち着かない。ふと目を上げると、一組の男女がいちゃついていた。

中学生のようにも見えるし、高校生のようにも見える。胸には、大きなSの字が中央に刺繍された校章が見えた。左右にアザミのようなものが伸びていて、すぐしたに学校名らしきものが刺繍されていたが、小さすぎて読み取れない。

再びハードボイルドな世界に戻るも、満員電車内での至近距離のため、そのせわしい動きを視界からはずしたくても、どうしようもなかった。

男は首筋あたりに手をおいていたかと思うと、髪をなで、女を抱き寄せ、戻して、すぐまた肩に手を置く。何かを話すために肩から手をどけても、またすぐに首筋に手が行き、また髪をなで・・・それを延々と繰り返していた。

女の方は男の肩の辺りに顔をうずめたり、こめかみや頬のあたりに唇をあて、離れ、身振り手振りで話をし、また顔をうずめ、首筋に唇をあて・・・。

もう、そのいちゃつき方は、せわしいことこの上ないのだが、よくよく観察していると、それはスペイン風ないちゃつき方に似ていた(仮にいちゃつき方にお国柄があるとしたらの話だが・・・)。おいらが3年スペインにいてもマスターというか、マネできなかったいちゃつき方だ。

スペインではバルやらディスコテカやら、公園やら、自分の家やら、フィエスタやらで、ほぼ毎日のように眺めていた景色だ。

当時は、「スペインだねぇ〜」と羨望とも諦観ともつかない気分にさせられたものだが、なぜか今、目の前で繰り広げられている、同様の景色には、羨望も諦観もなく、まったく別の感情・・・不快、醜悪、軽蔑、さもしさといった言葉しか思い浮かばなかった。

前々から不思議に思っていたのだが、好きあっている男と女がいれば、いちゃつくのは至極当然な気がするのだが、なぜ日本でそれをみると、悪いイメージしか湧き出てこないのだろう?当然、屋内の話ではなく、屋外の話だ。

スペインでは、上にも書いた通り、ほぼ毎日みていたわけだし、友人などがパレハで遊びにきても、目の前でコーヒーすすりながら、当たり前のようにいちゃつくし、それにたいして何か悪い感情が沸き起こるなんてことは一度足りともなかった。


本に集中できそうもなかったので、あれこれ考えてみることにした。

理由となっていそうな項目をあげてみる。


スペインはいちゃつきパレハが多すぎるため、感覚が麻痺してくるが、日本では、昔よりは増えたとはいえ、まだまばらで、目立つため。たとえるなら、街中でたった一人が歩きタバコをしているのを見かけた時と街中が歩きタバコをしている人ばかりというのを見たときという感じの差だろうか・・・。

日本人の顔が童顔だから、ママゴトのように見えてしまい、どうしてもかっこ悪く見えてしまうから。なお、スペインだと、もちろん人にもよるが+5〜7歳くらい上に見えるので、仮にいちゃついているのが日本の中学生くらいだったとしても、高校生くらいに見えるし、高校生なら大学生くらいに見える。ただ、これは年輩の場合になってくると、理由になりそうもない・・・。

年齢どうこうじゃなくって、外人はいちゃつくものだというイメージで、逆に、日本人は詫び寂びの国だから、外では睦言を交わさないもんだというイメージが頭にこびりついてしまっているから。アメリカ映画のラストと武士映画のラストの違いにたとえられるか?

絵画の好み同様、日本人がいちゃついているのが純粋に美しくないから。これは横暴な気がするが、好き嫌いは感情だから、一番しっくりくるといえば来る。ピーマン嫌い!と同じ。


実際の状況をシミュレートして、頭に浮かんでくるイメージを比較してみる。


■日本人パレハ。場所はスペイン。

別になんともない。郷に入りては郷の従えの精神。

そういえば、かつて彼女とスペインにいたとき、周りの友人に「おまえたちは本当に付き合ってるのか?ここでいちゃついてみろ〜!」といわれたことがある。彼からしたら、まったくいちゃつかないうちら二人が、不思議でしょうがなかったらしい。


■スペイン人パレハ。場所は日本。

別になんともない。

郷に入りては〜の精神でいちゃついてなくっても、「珍しいスペイン人だな〜」と思う程度で嫌悪感は起こらない。もしいちゃついてても、「スペイン人だしね・・・」ということで、同様になんとも思わない。たぶん、お国柄というものを頭が勝手に理解してしまうのだろう。


■スペイン人と日本人のパレハ。場所はスペイン。

これもまったく問題ない。

片方が日本人だが、すでに両方スペイン人のように認識してしまうようだ。ただ、ついて3日たたない日本人が、同様の状況だったら「なにしに来たんだ?」と思ってしまいそう。そんなのは人の勝手であるが・・・。


■スペイン人と日本人のパレハ。場所は日本。

ほほう・・・これは面白い。

まず、二人の様子をみて、相手の知り合った状況を勝手に推測した上で、○か×かを決めようとしている。スペインで知り合って日本に来ていそうな場合はなんともなし。日本で知り合った場合で、そのスペイン人が日本の文化を知りたくて来ていそうなら×。そうじゃなければ○となった。

「日本人パレハ。場所はスペイン。」のところで書いたとおり、いちゃつかないとパレハじゃないと考えているのなら、いちゃつかないといけないわけだから。

ただ、状況を判断している時点で、なんかがおかしい。でてくる感情も「そうやって欲しい」程度の話で、全体でみてしまうと、なんとも思わないという方になりそうだ。


・・・とりあえず、各シチュエーションによるおいらの感じ方はわかったが・・・なぜ、日本人だとダメなのか・・・という理由としては、イマイチな気がする。

やはり、感情の部分を理性で理解しようとしても無駄なのだろう。

というか、これもあれか・・・年齢ってやつなのか・・・。

トランクス見せて歩けるか、歩けないか・・・その程度の差なのかもしれない。

おいらとしては、自分はしないが、別に他人がいちゃついてても、まったくなんとも思わないようになりたいのだが、ゾロ目になるまでに頭にこびりついた、その手のイメージはそう簡単に払拭できないんだろう。

どうしても、みっともないというか、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。痛々しいというか・・・。


あ!重要な要素を考え忘れてた・・・日本人のもつ「恥」の概念!!

そうだ、「恥」だ、「恥」!


でも、もう面倒くさいからどうでもいいや・・・。


追記
タイトルのretozar。スペインにいる間、いちども聞いたことがない。coquetearはあるが・・・。今回の日記にかいた「いちゃつく」というのは、このretozarでいいんだろうか・・・?