イカロス

新年あけたら復活しようと決めていたのに・・・もう2月。まぁ、そううまくいかないのが世の常ってやつだ。

ってことで、1月をさらっと振り返って現在に無理矢理つなげることにする。

その前に去年の反省。

日記生活14年(13か?)・・・去年ほどひどい年はない。我ながらがっかりだ。生活が生活だっただけに、まぁ情状酌量の部分もあると思うが、やはりひどい。怖いから去年の日記の日数は数えないでおくが、今年はその点を反省し、以前みたいにたまに休みながらも、ちゃんと書くことを誓いたい。うむ。

で、今年は新年早々、幸先良い感じ。追い風追い風順風満帆。

31日は例のメンバーで除夜の鐘+初詣。おみくじ引いたら大吉。願い事は「ボーナスがもらえるになりますように」と「長尾が結婚できますように」の2つ。

年あけたあとは、うちで毎年ダラダラとくっちゃべるのだが、今年は夜中の4時に合わせ家を出る。ゴルフ君で一路、滋賀に向かう。運良く浜名湖あたりで初日の出の時間を迎えることが判明しSAへ。当然、同じことを考えている人たちの車で浜名湖SAはエライ混んでいたが、なんとか車を止められるところを発見し駐車。

夜か朝かと問われたら、「まだバリバリ夜ッス」と答える感じの空だったが、白茶け始めている匂いもしたので、待っていればすぐに日はまた昇るだろう・・・とコーヒーを買って浜名湖SAにある大きな広場で絶景スポットの場所取り。

しかし・・・あまりの寒さコーヒーは3秒で「あったか〜い」から「つめた〜い」になるし、周りが友達同士のグループでガヤガヤし始めたの感じ、「新年から1人で初日の出かよ・・・」と少し寂しくもなったし、あまりの寂しさに、同じように1人できているっぽい女の子を勝手に同志扱いして自分を慰めていたが、日は全く昇ってくる気配もないし・・・。

結局、クソ寒い中、コーヒーを買いに行きたくても動けない1人の状態で、1時間ちょいまってようやく御来光。

2009年御来光 en 浜名湖

待った甲斐はあった・・・。

7時半くらいに浜名湖SAを後にし、再び滋賀へ。予定ではそのまま寝ないで、10時半〜11時くらいの間に滋賀の適当なSAに入り、車で仮眠をとる予定だったのだが、寒い中長く待ちすぎたのか、かなりの睡魔に襲われ、30kmも走らないうちに限界達する。8時半ちょっと前のこと。

仕方がないので赤塚の小さなPAに車を止め、持参してきた毛布にくるまって仮眠に入る。目覚ましを4時間後の12時半にセットし寝たのだが、あまり暑さにに起こされる。日はだいぶ昇り、燦々と輝いている。時計をみるとまだ11時。3時間も寝ていないじゃないか・・・。

いかん。このままだと長くなりすぎるから一気に端折る。

無事滋賀に到着。ユウコちゃんを拾い、ガソリンを満タンにし、北上。VAMOS A 石川だ。途中のPAで「焼き鯖寿司」みたいなのを食べる。隣でユウコちゃんが「福井の鯖は・・・もっとおいしいお店が・・・」とブツブツいっていたが、前日の夕方7時くらいに年越し蕎麦を食べてから何も口にしていなかったおいらには、PAの食べ物とはいえ激旨であった。

滋賀はものすごい大粒の雪が降っており、高速道路脇にもすでにつもっていたが、石川へ入ると雪はまったくふっていなかった。しかし、空はものすごい色。小説とかでみる「鈍色」(にびいろ)とはまさにこの色のこと。なるほど・・・朋美嬢が「石川では空の話はタブーよ」といっていた理由がよくわかる。

北陸自動車道上で2つほど初体験。

ユ「あ〜〜あの車よけて!!!」
お「えっ?えっ???何?」
ユ「あ〜〜〜」
お「なんだ!!フロントガラスが真っ白になった!」
ユ「除雪車・・・あれ・・・塩化ナトリウムまいてるから・・・」
お「へぇ〜なるほどね〜」
ユ「あれにあたると、車さびるからちゃんと洗車しないと駄目だよ」
お「ぬわに〜〜〜!!!そんな・・・・。っていうか、あれ避けようがなくね?」
ユ「そうなんだけどね・・・」

初体験2

お「すげ〜〜〜!あの空!鈍色だ、鈍色!鈍い色と書いて鈍色!!すげ〜」
ユ「それ石川で言っちゃ駄目だよ」
お「うん。朋美嬢から聞いた。空の話だめだって。納得したよ。でも、これは特筆に値するよ。っていうか、開口一番言っちゃいそう。「すごい空だね!」って」
ユ「みて、みて!あそこ!雪降ってるよ」
お「は?どこよ・・・っていうか、何であんな遠くで雪降ってるのわかるのよ」
ユ「あそこだよ。あの雲が黒くなってるところの下・・・雪みえるじゃん」
お「ええええええ。うそん・・・。まぁ、雨雲があるから雪雲もあるんだろうけど、見えるはずが・・・って、あれ?あのトルネードみたいな感じに白くなってるところ?えええ〜〜あれ雪なの?」
ユ「うん・・・そうだと思うけど・・・」
お「ええええええ。すげ〜じゃなにかい・・・あっちはそこそこ太陽がでてて、天気いいけど、あそこの雲の下と、そっちの雲の下のあれは雪が降ってるの?」
ユ「うん。たぶん降ってる」
お「すげ〜〜〜石川・・・そりゃ、蜃気楼も見えるわ・・・って、それは富山か・・・」

果たして、金沢あたりで降りると本当に雪は降っていた。

夜、石川桃源郷にて、美女軍団に囲まれる。全員ドーピングをしていたのもあって、朝の6時過ぎまでダラダラダラダラ。トゥ君が寝たあたりからちょっとした四面楚歌状態になる。性別での味方がいない。かなり激しい闘いになったが、両者引き分けというところだろう。

2日目。トゥ君が良い匂いをさせたまま同窓会にいってしまい、のっけから四面楚歌状態。そして、さらに増える美女。序盤はまさに桃源郷なのだが、後半戦はかなり熱い闘いになる。次から次へと空いていく一升瓶。最終的には2日で6本の一升瓶が空いた・・・。そのせいで、31日に出そうと思って持ってきた年賀状のことをすっかり忘れることになった・・・。

おいらがびっくりしつつも、とても嬉しく、「石川に住むか・・・」と思わせたのが、「あたしあまり呑めないんです・・・」の違い。東京と石川のだ。

東京の「あまり呑めない」はすなわち「呑まない」に限りなく近くなるが、石川の「あまり呑めない」は「5合は呑む」なのだ。まぁ、ペネロペを筆頭とする朋美嬢ファミリーに比べたということではあるかもしれないが、愉快な仲間たちは、ごく普通に酒を呑む。しかも、嬉しいことに「日本酒」をだ。Viva!石川!である。

そのペネロペに「こんなに呑める男の人は初めて・・・」と言わせしめたおいらは、まだまだイケるということだろう。最近、三十路の呪いでやばくなっていたのだが、ドーピングありならまだまだ現役であることが証明された。

2日は朝の8時まで酒宴は続いた。途中、美女軍団が「男は触れられてイヤかそうじゃないかが大事」という話を聞いて、「え〜〜そんなんあなたたちだけでしょ〜」と反抗したのだが、来る美女、来る美女、その意見に同意するものだから、本気で一瞬、酔いが覚めた。「触れられる」はエロティカな意味ではなく、普通の意味の「触れられる」だ。他人の話なら「かわいそう」で済むが、それを自分に置き換えたら・・・と思ったら、鳥肌たった。こえぇ〜〜よ〜〜〜。

石川人と滋賀人だけの話にしておこう・・・と思ったが、つい最近呑んだチカちゃんが「セクシーな人じゃないと駄目」というのも、きいたところ、その状態に近いらしく、またもや愕然とした。福島もかよ・・・。

男は別に肩に手を置かれようが、腕を捕まれようが、頭をなでられようが、気にする人は少ないと思うが、おなごはそうでもないようだ。そういえば、前にお嬢がタクシーに乗るとき、わざとバランスを崩すというか、気づかないふりをして、手の上に手を重ねて乗り込んできては「あ、ごめんごめん」という上司がいるとかぼやいていたが、それをぼやくということは・・・なるほど、そういうことか。そういう輩がいるから・・・。

石川の鏡餅は赤かった・・・。

次いってみよう。

1月23日・・・無事1年7ヶ月の日雇い職人を終え、退石積み。「あんたこのご時世に・・・ほんとどうするのよ・・・」とぼやかれもしたが、まぁ、人は人。おいらはおいら。世のお母さんの言う、「他の家は他の家。うちはうち」の論理だ。

ただ、同時にイカロスにもなった。勇気一つを友にしていて空高くまいあがっていったのだが、蝋で作った翼は溶けてしまった。状況でいうと3番辺り。まぁ、そろそろ潮時というのもあるし、前回が1年、今回が2年だったので、次は3年間はもつだろう。

むかしギリシャイカロスは〜♪

1年7ヶ月もいたのに、呑み仲間一人できなかったバビロニアでの日雇い石積み生活だったが、最後の最後の送別会で呑んだ暮れ仲間を二人発見。部署は違うものの同じチームでやってきた人たち。連絡先もゲットできたので、帰国したら呑みにいこうと画策中。うち1人はかなりの呑んだ暮れっぽいので、期待大だ。

で、現在。旅の計画中。

最終的に期間は2ヶ月弱ということになった。12月末で辞められていれば、観光ビザマックスの3ヶ月行けただろうが・・・まぁ、いたしかたない。

当初の予定では、スペイン→イタリア→クロアチアアルバニアギリシャ→日本という感じで考えていたのだが、まずギリシャは諦めた。

小学生の時にもらう地図帳(まだユーゴスラビア時代のもの)でみたら、結構近く思えていたのだが、ちゃんとした地図でみたら遠い遠い・・・。もしギリシャにいけたら12年ぶりとなっていたのだが・・・。

ギリシャがなくなってしまったので、アルバニアも切れた。アルバニアは、先日の郡山芋煮会合宿企画で、アルバニア人のMjedana(ミエダナ)と知り合ったから・・・という理由だけで決めたのだが、いかんせん情報が少ない。Dubrovnikからすぐ南へ行けばアルバニアだと思っていたのだが、ちゃんと調べたら間にモンテネグロがあった・・・。

利用する航空会社も、スカンジナビア航空(約一年Fixで往復47000円)を使おうと思っていたのだが、コペンハーゲンで一泊以上しなくてはいけないため、しかも途中降機もできないため、結局BA(ブリティッシュエアウェイズ)にした。値段は往復48000円程度と値段は変わらないのだが、燃油サーチャージがBAの方が高いし、ロンドンは通過しただけで金取られるのでだいぶ高くなる。結局、サーチャージ等諸々を追加すると航空券よりも高くなって、最終的な値段は10万円強。これでも前よりは少し安くなってるわけだけど・・・うぬぬぬ。まぁ、ユーロがだいぶ下がっているので由とする。そういえば、4月からはサーチャージが一気に下がるので、今度は航空券が少し上がるかもしれない。4月以降なんて、イカロスなおいらには関係ない話だが。

クロアチアに入る航空会社の数はかなり少なく、オーストリア航空を筆頭に数社しかない。BAも当然入ってないので、帰りはウィーンに決定。ウィーンはこれで3度目。ウィーンを訪れる前は「どうせPijoな街なんでしょ〜」と小馬鹿にしていたが、今では完全にウィーン贔屓だ。とても素敵な街である。

出国までほとんど時間は残っておらず、今現在、必死でプランニングをしている最中なのだが、サイトがクロアチア語だったりするので、かなりしんどい。アドリア海をはさんでイタリアが近いので、イタリア語と英語にサイトの表示を変えることもできるのだが、中途半端にしか変わらないサイトが多いため、どこをクリックしていいのかイマイチはっきりわからず、知恵熱でまくりだ。

目下、苦しんでいのが、ヴェネチアからスプリットへ行くルート。シーズンの夏期なら、3時間でPulaにつき、そこからRijekaに行ってフェリーでSplitへいけるのだが、Venezia→Pula間が冬期は運休しているため、バスで無理矢理いかなくてはいけないのだ。しかもかなりの時間をかけて。

VeneziaからRijekaに直接行けたら一番楽なのだが、どう探してもそこの間のバスがない。きちんと読めもしない英語、イタリア語、クロアチア語スロベニア語と悪戦苦闘していると、AnconaからSplitのフェリーなら通年でていることが判明したが、VeneziaからAnconaって、あんた・・・かなり南じゃねぇ〜か〜ぼけ〜。

その後、浮上してきた方法がTrieste経由のルート。乗り継がなくてはいけないし、フェリーに比べたら面倒なのだが、VeneziaからPula行きのバスはTriesteを通るので、そこで降りて、TriesteからRijeka行きのバスに乗り換える。

このルートの時刻表等を調べるのにかなり手間取った。普段の旅なら、なるようにしかならないと大まかなプランニングだけして、あとは野となれ山となれなのだが、クロアチアのメインは、あくまで「アドリア海の真珠」ドゥブロヴニク。そこまでのルートがきちんとあるかどうかだけは出発前にはっきりさせておきたかったのだ。冬期は休むor激減する交通手段が多いだけに。効率良く回るためには、計画的にいかなくてはいけないのだ。この手間は惜しんではいかん。

で、ほぼ決定しつつある現在のバルカン半島ルートはこれ。

ヴェネチア(イタリア)→バス4時間→トリエステ(イタリア)→バス2時間→リエカ(クロアチア)→フェリー12時間→スプリット(クロアチア)→バス4時間半→ドゥブロヴニククロアチア)→バス→モスタルボスニア・ヘルツゴビナ)→バス→サラエボヴォ(ボスニア・ヘルツゴビナ)→バス→ザグレブクロアチア)→列車orバス→リュブリャーナ(スロヴェニア)→列車orバス→ウィーン(オーストリア

最初の予定にはなかったのだが、アルバニアの代わりにいれたサラエヴォにはかなり期待している。日本史でも世界史でも必ず習うから、日本人なら、細かい場所はわからなくっても名前だけは絶対にきいたことがある街だ。絶対に素敵な街であるに違いない。なんてたって、歴史がものすごい複雑。しっかり勉強して、この目にしっかりと焼き付けてくるつもりだ。出国前に、映画を借りて見なければ・・・。

最後にスペイン。

こちらは、完全に呑んだ暮れの旅。前回と同じだ。今回は久しぶりにレンタカーを借りるので、Ribera del Dueroの小さな村々を回る予定。そして、そこで酔いつぶれる予定。パラドールにも泊まっちゃうさ。まえは30歳までだったEscapada Joven(若者割引)が、なんと35歳までOKになっていた・・・。すばらしすぎる。冬なのでプールには入れないが、Vinoをしこたま部屋にもちかえって、しこたま呑んだくれてやる。

そして、前回いったときに情報を得て、かなり興味をもったRioja周辺。交通手段の関係でLogron~oしか回れなかったが、今回はHaroあたりまで足を伸ばし、そのままネストルがいるという(もしかしたらLeonかもしれないが)Vitoriaまで行く。その後、Soriaへ戻り、Duero側に沿うように進みValladolid方面へ。この間の街は、×× de Dueroがうじゃうじゃ。もうこれだけで血湧き肉躍る。その中でも大きめの街、Aranda de Dueroあたりで呑んだ暮れる。Valladolidからは南下してVinoのおいしいRuedaあたりを散策。Vino SanzのVinoを試してくる。時間があったらLeonから、これまたVinoの旨いBierzoにも行きたいが。ここは多分無理っぽい・・・。

これが理想のルートなのだが、日数の関係もあるので、実際にはここまで回れないだろう。なんせ車の運転はおいら1人だ。久しぶりの左ハンドルの右車線。すぐに勘を取り戻せればいいのだが・・・もう三十路超えてだいぶたつからな〜。

ただ、今回は地図が読める女"マリカルメン"が一緒にいる。この違いはかなり大きい。BarやBodegaで1人で呑んだくれなくていいということだ。周りと同じように、ワイワイガヤガヤキャーキャーできるということだ。まぁ、やつは酒を呑まないので、呑み相手には全くならないが、会話ができるかできないかというのは大きな違いだ。

前回みたいに寂しくて、BarやBodegaで絵はがき80枚とかいうのはイヤや・・・。